「日本・共和党」の創設ー2 | 『改国救世』サイトより

「日本・共和党」の創設ー2

   「日本・共和党」の創設 (2)


3、共和主義を考える

★個人主義・リベラリズムを超えるもの
★「天民家族主義」「共生共栄共義主義」「共和主義」
★保守正流・「日本・共和党」創設の意義<その3>


1)近代主義、個人主義、

■宗教改革、ルネッサンス、啓蒙主義などを経て近代主義思想が形づくられてきたのであるが、この中世カトリックキリスト教世界の人間本性抑圧体制への反抗と改革運動は、ルネッサンスにみられるように古典、古代ギリシャ文化の復興運動でもあった。ルネッサンスはヘレニズム的伝統への回帰であり、神主義、ヘブライズム的世界観、キリスト教的世界観への反抗的な要素が強く、信仰世界に対して、人間理性の強き主張となり、神々に背を向け、宗教的なものを見下げるか否定したりした。人間解放、自我の解放の思潮は人間理性を中心にした、西欧啓蒙主義思想に発展し、信仰よりも「理性が主役」の人間中心主義ヒューマニズム的世界観、ヘレニズム的世界観へと結実した。 神に代わり人民、市民、人権が、宗教に変わり科学が、経済が主役になったのである。


■これらの人権思想が現代の欧米の社会と、政治的リベラルリズムと民主主義の思想的な底流になっている。宗教的なものよりも、科学的なものに価値を置き、科学万能主義なる風潮をもたらしたのである。これらの近代主義の延長は当然のこと人権重視の「個人主義」的な人間観や世界観へと結実したのである。
大まかに総括すれば、保守主義は、神本主義的なヘブライズムに立脚点を置くものであり、リベラリズムは、人本主義的ヘレニズム・ヒューマニズムに立脚点を置く思想であります。米国の「コンサバティブ・共和党」と「リベラル・民主党」は典型的な二大政党分立体制を顕現しています。


■★現在の米国が苦悩している根底に「個人主義的な弊害」の部分が少なくない。米国主義の根底には独立宣言の起草者であり、内的に米国を作った啓蒙の思想家であったトマス・ジェファソンの独立と自由と人権思想の影響が決定的である。ワシントンDCにあるジェファソンメモリアルの巨大な銅像はホワイトハウスを直視している。極論すれば米国はジェファソンの国でもあると言える。ジョン・ロック、ジェファソンなどによる啓蒙主義と個人主義の限界が今日の米国の苦悩の深淵に存在している。(『保守主義の哲学』中川八洋、PHP研究所、2004)法を犯さなければ何でもOKとの人権主張の風潮の中から、企業が借金、場合によっては倒産状態でも巨万の収益を収奪している金融界のリーダーのオゾマシキ内容がこのたびのリーマン事件で明確になった。従業員とその家族への配慮など微々たるものであった。オバマも怒りをむき出しにしたのである。


■★前著の中で、中川八洋氏は保守主義哲学の大家に米国憲法の起草責任者であった、アレクサンダー・ハミルトンをあげて米国はハミルトン、マディソン等の『ザ・フェデラリスト』に示されているような「キリスト教共和主義」思想の基盤に立つべきであったと強調している。自由よりも名誉や正義や徳目を主体にした道徳的な自由主義が強調されている。リベラル・リバティーよりも「フリーダムの思想」である。為に生きる自由であり、愛実現の為の自由であり、国家と世界の為に生きる、天・神仏と共にある自由である。共生共栄共義主義の自由であります。個人主義的な自由とは天地の違いがあるのです。


■★私はかつて立教大学総長をされた松下正寿先生からこのことを教えていただいたことがある。米国建国200年の1976年であった。米国でこの事ことを友人に話したら「米国でジェファソンや、独立宣言に否定的に触れることはタブーである」と注意されたのである。松下先生もこの米国の持つ思想的な急所を、依頼された米国での「独立・建国200年の記念講演」で話したら大騒ぎになったと経験を話してくださった。みんなが米国独立、建国の精神に帰れ!と叫んでいたときであった。松下先生は思想の大家であるとともに正義感に満ちた真実の方であった。このような公演は内容的にも高度であり独立200年の時に米国にて日本人が講演で主張するのは、神を信じて叫ぶ勇気が必要であったと思う。


2)保守主義、共和主義について

■保守主義の父と言われて来たエドモンド・バークは『フランス革命の省察』にて「多くの先祖が築いてきた歴史、文化、伝統を継承して改革の努力を加えて未来の人々につなぐことの重要性を述べている。宗教的な不変なものに敬意を払う事は最も大切なことであると。歴史に対して否定的な態度やこれを断絶し、宗教的なものを軽視し、否定的な啓蒙主義的な思潮や、フランス革命のような暴動は歴史の真の進歩と言う事は出来ない」と。ハンナ・アレントも同様なる見解を『革命について』の中で述べている。


■★戦後の日本ほど自国の歴史に対して自虐的で否定的な風潮が大きい国はない。日本の社会全体も啓蒙主義的思潮の渦中に置かれて来た。デカルト的啓蒙主義のように民族の歴史に対する否定的風潮は、敗戦後の日本に伝染病のように広がってしまったのである。特に啓蒙思想の結実とも言える、社会主義、共産主義が進歩的な思潮として日本を席巻し、日本の文化、歴史、価値観に至るまで侵略されたのである。


■★日本の歴史も文化も伝統も礼節も、武士道も何にもわかっていない偏向思想の持ち主であった、民政局ニューディーラー達による「教育制度への不当な内政干渉」等などにより民族の精神的支柱が根こそぎ骨抜きにされたのである。コンサバティブな保守の精神基盤が計画的に占領軍により末梢されたのである。
神仏との絆が弱体化した分だけ、リベラルな個人主義に成り、道徳的精神や愛国の精神が欠如した「偽の自由」・啓蒙の自由と啓蒙の弁証法、啓蒙の人権主義に落ち込んでいる。


■古代ギリシャのプラトン、アリストテレスの政治思想は『共和主義』であり、キケロもまたローマ共和制の政治思想の基礎を築いたのである。 古代政治は、近代個人主義思想などない時代であり、政治は「有徳国家」を目指すものであった。国家のために生きる事が善であり、徳を積むことであった。 国家を愛して国家のために生きる事は自然な事であった。レーニンの言うごとく「国家は人民搾取の機関であり、悪の存在であり、打倒すべきものである」などと考えてはいなかったのである。レーニン程ではないにしても西洋の近代民主主義思想は、国家と個人を対立的に捕らえて、国家よりも人権を上位に置いた様な思潮が少なくない。


■★共和主義・リパブリカニズムはラテン語の「レス・プブリカ」という言葉に由来している。簡約すれば「公共の事柄」である。したがって共和主義は公共の事柄を重視する立場と解釈できる。ラテン語では「レス・プブリカ」を「共和国」や「国家」と訳すときもある。 ただし国家の意味が古代ローマ時代と近代以降登場した国家とでは勿論のこと同じではないが。当時の国家は市民的国家で、公的な事柄に貢献できる能力と資力を持つ人物こそ善き市民となれた。キケロの考えは、市民の財産保全の自由と不可侵を護る事こそ共和国の努めであると主張していたのである。 貧者の救済などは有徳な市民による慈善や施しという貴族的な方法でなされるべきであると唱えられていたのである。アリストテレスやキケロの共和国の思想の中には「有徳の市民」という人間像が基礎になっている。
(『共和主義ルネッサンス』佐伯啓思監修・NTT出版、2007<共和主義とリベラリズム>・山岡 隆一)


3)東洋的「天民主義」「天民家族主義」の時代

■西洋近代思想、人間中心の個人主義、唯物的な科学万能主義に対して、東洋には自然と人生、精神的なものと物質的なものとの調和や共生に重きを置き、家族の価値を最も大切にする集団主義的な、調和と中和の思想「天民家族主義」の考えが根付いている。


★新渡戸稲造は『武士道』を著して、キリスト教と日本武士道の親和性を思想化した。西郷隆盛は「啓天愛人」を座右の銘にしていたのであり、内村鑑三は「我は日本のために、日本は世界のために、世界は天のために、天は人類のために」との格言を残した。哲学者・西田幾多郎は『善の研究』を著して善の根源であり善の主体なるものは『絶対矛盾的自己同一の存在』であるとの悟りから、天地人万物の「大調和による愛と調和と統一の世界観」を著したのであった。聖徳太子、空海等など日本の哲人たちもまた「天民主義」「天民家族主義」を啓示してきたのである。


★西洋近代人本主義の結実たる個人主義の風潮を超克できるのは正に有徳の思想、調和と中和と統一の思想であり、共生共栄共義主義、天民家族主義の中にあると言えるのである。為に生きる自由と人権の考えであり、愛や正義や徳目や品格や国家や世界などと共にある個人であり自由であり人権であるとの思想であります。日本が世界の為にあるとの責任と世界貢献の有徳国家思想であります。これこそ「共和主義」であり、共生共栄の思想であり「真正保守主義」の原点であり、現在に復権すべき思想、コンサバティブ保守政党が立脚すべき思想なのであります。


■個人は家庭のため、家庭は社会と国家のため、国家は国民の生存権と幸福追求の為に存在している。これに今日では世界が加わり、日本はアジアと世界の為にあり、アジアと世界は日本の為にある。 「二人のため世界はあるの」というヒットソングがあるが、共和主義で言えば「二人のため世界はあるの。世界のため二人はあるの」であり、「二人して日本社会と世界の為にお役に立ちたいネ」なのである。まさに有徳国家 道徳国家、品格国家が目標である。


★全存在は『主体』と『対象』から相対関係を持って存在している。孤立的なものはない。あってもそこには、生命と永遠性がない。東洋では『陽』と『陰』の思想がある。「調和と中和の哲学」である。主体と対象は相対的に存在していて互いの『為に存在』している。これが存在論の核心である。故に『為に生きる』が価値論の核心である。為に生きることから、発展があり、喜びがある。
為に成ってこそ初めて価値があるのである。単純な結論であるが、これが破壊の哲学でなく、調和と発展の創造の哲学であり、愛と幸福への哲学である。


■★西田幾多郎・博士が言ったように「愛による統一力」が存在の基盤であると。『われ思う故に我あり・デカルト』では個人主義的な結論が関の山であり、時代遅れであり不完全である。西田幾多郎・博士は、西洋哲学の限界を早くから悟って西洋哲学を超克するために人生をかけた。真理と知の極致に『愛』の実在を見て「愛による調和と統一の哲学」を考究した東洋哲学の師である。


■いまや世界は「地球市民」とまで言われるようになっている。「天民家族主義」の地球共同体的な思想が期待されているのである。 科学の発展は自国のニュースと同じく全世界の事まで瞬時にお茶の間で見聞きできるようになったのである。CO-2問題、資源問題、環境問題などなど世界の国々は国境がありながら、国境を越えている。電信電波の流れ空気、海水の流れ、物流、人の流れなど世界一体である。特にテレビやコンピューターの出現で世界は連帯を限りなく深めている。世界平和と世界万民の共生、共栄圏の創出の為にも「天民家族主義」「人類一家族」の思想が必要である。人間みな兄弟姉妹、われらはみんな地球家族の一員であるとの思想が完全定着するべき時に来ている。


■★『天』は万国共通の至高至聖の言葉であり、神も本仏も内包する立体的な至聖の霊言霊語で哲学の始原足りえる言葉でもあり、宗教統合のキーワードであるとともに、東洋と西洋を、神々と本仏と人間をつなぐ平和と統一の言葉である。殆どの宗教は、人間が神仏の子女であり、天・神仏が人類の真なる親神(おやさま)であり父母であるとの教えであろう。そうであれば天民家族主義の地球的な共同体ができ、世界連邦を超える地球家族主義世界に成ります。もしかしたらそれが「天国」なのかも知れません。


4、保守二大政党制確立への分立基軸


★天民主義と人民民本主義
★コンサバティブ保守とリベラル保守
★父性格・共和党と母性格・民主党
★保守正流・「日本・共和党」立党の意義<その・4>


1)キリスト教が分立基軸の欧米

■★前記したように、欧米の文化、政治などの背後にはユダヤ・キリスト教的・ヘブライズムの伝統とギリシャ・ローマ的ヘレニズムの伝統が存在している。 歴史的には、欧米世界はキリスト教の文化と伝統下にあるが、政治も、政党も大局的には、ヘブライズム的な民主主義を志向するキリスト教的保守勢力と、ヘレニズム的なヒューマニズム・人間主義を志向するリベラル民主勢力へと二大勢力、二大政党体制へと結実している。 政党の分立基軸はズバリ言ってしまえばキリスト教である。キリスト教的伝統を保守するのか、それともリベラルで行くのか。


■★米国を見ればキリスト教的民主主義を志向する共和党とキリスト教的な価値観をあまり重視していないリベラルな人間主義、啓蒙と人権ヘレニズム的民主主義を志向する民主党の二大政党体制になっている。 根本の根本は、神・キリスト教に対する保守・コンサバティブなのか、リベラルなのかなのである。リベラルとはキリスト教に対してのリベラルなのである。


■★保守・コンサバティブは右派を意味していてキリストとともにゴルゴダの丘で十字架にかかった右の強盗に起因している。右の強盗はイエスキリストを受け入れたのであった。左の強盗は神とイエスキリストを否定しののしったのである。エドモンド・バークの言うようにキリスト教、宗教的なものを貴重視するのが保守主義の生命線である。反共保守はここからきているのである。


2)父性格政党・『共和党』と母性格政党・『民主党』

■★多神教の日本はキリスト教欧米のように明確な分立基軸が定かではない。 神と人間の関係を縦軸と考えれば、横軸には人間と人間の関係が考えられる。人間関係の分立基軸は明確で有り、男性格と女性格であり、父性格と母性格である。世の中の根本は家庭にあるが家庭では男性(夫・父)と女性(妻、母)が両者の力を良く出し合い協力し合ってゆく事が家庭の繁栄と幸福実現の基盤になることは自明の事である。男性と女性は性格的には極と極にもなっているので考え方も差異が出てくるが、“夫婦愛和して万事なる”といわれるのである。日本的な知恵であるが、国家も大きな家庭であると考えられるので、国権の最高機関の国会にも、『父性格政党』と『母性格政党』の保守的・二大政党が存在するのが善いのである。


父性格政党・「日本共和党」はコンサバティブ保守政党を代表する


母性格政党・「日本民主党」はリベラルな保守政党である。


■★共和党は父性格政党として、男性の使命が産業活動に参加してお金を作る事や家族の安全を守ることなどにあるように、共和党は生産者、経営者サイドに立ち産業の振興や経済の発展に主体的な取り組みをすべきであろう。
また共和党は、国家の安全保障体制の確立に絶対責任を持つべきである。


★民主党は母性格政党として、母親が子供達の成長や日々の生活に強くあるように、国家的見地で、勤労者、消費者、失業者、社会的な弱者をも見逃す事のない国民の福祉重視の政治に取り組むべきである。


3)有徳国家論と福祉国家論

■「有徳国家論」はかつて小渕内閣が「富国有徳国家論」を打ち出した事があるがこれから富国を取り除いたものである。明治より二次大戦までの日本は「富国強兵」を国家目標に掲げて国家建設に取り組んできたのである。敗戦後「富国論」一本で高度経済を達成したのであるが、経済至上主義は国民道徳の大いなる後退をもたらした。2007年を象徴する言葉が「偽」との結果である。日本の先祖、先人達は泣いているのである。


★共和党は共和主義の旗を掲げて「有徳国家論」を国家目標に、その目的実現の為の取り組みを具体化すべきである。有徳な日本人、有徳な家族、有徳な日本国建国の夢を追い続けようではないか。世界一の礼節国家日本、世界一の道義国家日本への夢。

■新渡戸・『武士道』に注目すべきである。新渡戸稲造博士は、ベルギーの法学大家、故ド・ラブレー博士の歓待を受け、その許しで数日を過ごしていたあるとき「あなたのお国の学校には宗教教育は、ないとおっしゃるのですか!宗教なしでどうして道徳教育を授けるのですか」と繰り返し聞かれた事を忘れられないと。その事がきっかけで『武士道』が書かれたことが著書に記されている。『武士道』の第一章は「道徳体系としての武士道」からはじまっている。新渡戸博士は熱心なキリスト教徒でもあり、東西の最高学府で学問をおさめられ、国際連盟をはじめ国内外での活躍は、日本はもとより世界の歴史に記される偉大なる人物であった。


■★共和党は、『啓天愛人』『共生共栄』を党と国家スローガンにして、日本の精神的再興、道徳と礼節再興のために、新渡戸・『武士道』を基本にすえるべきである。欧米の保守主義がキリスト教に思想的な基礎を置いているように、これに代えて新渡戸『武士道』を精神的な基礎にするべきであろう。


■★世界一の礼節国家を目指すことがきできるのであり、『国家と品格』『美しき国・日本』の建国は可能である。最高の日本国家目標は「有徳の人創りと有徳国家」への理想であることを銘記すべきである。


■★民主党はヒューマニズムの旗を掲げて「福祉国家論」のもと気持ちの良い福祉国家建設に挑戦すべきであろう。 欧米国家にない世界の見本となるべきモデル的福祉国家を夢見て進むべきであろう。


■このような二大政党体制ができれば間違いなく日本は世界NO1の国家になれるのである。大志抱き、夢を抱き、美しき国家日本への夢を持とうではないか!


4)平成のダブル保守合同で政界の再編を!


★保守二大政党制確立の為の政党の分立基軸の骨子

(1)日本的な保守思想の確立・欧米のキリスト教に代わるもの
★(本論・3、共和主義・天民家族主義の考察を見よ)


(2)憲法9条・占領憲法破棄と自主憲法の制定!
  ★(本論・第三部・2を見よ)

(3)日米同盟の堅持・環太平洋同盟創設、環太平洋協力機構創設
  アジア型NATO とアジア型EU世界の創造
★(本論・続編を見よ)


■★東西・冷戦時代でなく世界は「大陸国家連合」(ランドパワー)と「海洋国家連合」(シーパワー)の二大国家グル―プに分立する時代圏に入っているのである。海洋国家日本は「環太平洋国家連合」を、日米同盟堅持を条件に、<日本、韓国、米国、インド、オーストラリア>の5カ国で「環太平洋安全保障同盟」を構築すべし。その上に「環太平洋協力機構」を創設すべきである。環大西洋同盟・NATOとヨーロッパ共同体・EUが手本である!


■★コンサバティブ・民主主義の選択か、リベラル・民主主義の選択なのかを自民党員、民主党員、公明党員など保守系党員と考えている者は自己の立ち位置、政治的な立脚点を明確にすべきである。ソーシャル・民主主義者は新たな保守合同にはふさわしくない。左翼思想はその唯物史観の影響で、民族の歴史、文化、伝統に関してネガティブである。あえて保守二大政党をイメージ化すれば


■右派、岸、中曽根・石原的「日本共和党」父性各・コンサバティブ保守党


■左派、吉田、池田的「日本民主党」母性格・リベラル民主主義政党である。


■★国会議員だけでなく保守系の全ての県議も市議も全員がどちらかの政党に所属するべきである。無所属は廃止されるべきである。自分の政治的な立ち位置も決められない人物は政治家になってはいけない。無所属は許してはならない