"失敗は成功の母"という言葉がある
成功体験も大事だけど、
失敗から学べることは沢山あります。
ただ、実際は失敗が許容されやすい社会でなく
学校でも会社でも失敗に対して叱責を伴うことが多く、罪悪感と自己嫌悪に苛まれる。そこで生まれるのは失敗に対しての恐怖。
少なくとも自分はそうだったんだけど
結果どうなるかというと、
凄く保守的になるんだよね
うまくいくためじゃなくて
失敗しないように
失敗した時のために
と予防線をはった行動や発言が増えていく。
選択のベースが恐怖や不安なので、楽しくないしフットワークが重くなっていく。
しかも選択すら間違えたくないので
多くの人が選択するであろう選択をしてしまう。
まわりと一緒だと安心だし、
どこかで自分自身が本当にやりたくてやっているわけではないという言い訳ができるので、逃げ道があるんだよね
でもこれを繰り返していくと
自分自身が分からなくなって、望んでいることを見失ってしまうわけです
私はわりとこのような状況に陥っていた期間が長かったので、いまだに迷子になることがあるし
ブログでもこの停滞期間を書いてたけど、
あらためてまず自分自身が失敗に許容的にならんと
いけないなぁと感じております。
そのためには新しいことへ挑戦が必要で
とりあえずやってみて考えよう精神が大事
というわけで、現在映画館の研修がはじまるまで、
単発不定期の登録制のバイトチャレンジしてたんですが、なんとまぁ単純な労働の大変さと爽やかさを味わっております
ただ今、絶賛9連勤中(笑)
連勤中でも映画鑑賞や英語レッスンもぶちこんでいるのでなかなかハードですね。
年齢は36歳、けっして若くはないし
結婚もしてないうえに、恋人もいないシングルで、具体的な目標もない。唯一、映画館で暮らしたいという漠然な夢があるくらい。
そんな中で、今まで勉強していた整体でもない
英語でもない、過去のスキルを一切無視した単純作業のバイト経験は、いつもの自分なら絶対に選らばない選択肢だったので、イレギュラーな世界。
やってみて感じたのは
単純作業自体はストレスなくできるけど
体力的にはきついし、全体像が分からないまま、端的な説明のみで作業を行うことはめちゃくちゃストレスということ(刧財ちゃんの性質が出てるね)
でも梱包作業は楽しすぎて、誰にいわれるわけでなくいかに早くかつ美しく梱包できるか自分にノルマを課して楽しんでいました。あと体力と筋肉はつきそうな点はよいなと思ったり。
思ってたより、国籍も年齢も性別も様々人がいて、
こんな働き方もあるんだなぁと視野が広がったし、わりと頑張れる自分に気付いたり、そんなイレギュラー体験でした。
今週末からはいよいよ映画館の研修もはじまるので、また新しい挑戦ですね。
がんばるぞーー
仕事といえば、都内には出世の階段で有名な愛宕神社。以前から興味があって真夏に登り降りしてきたけど、ご利益あるかな?
でもご利益云々より、ジョン・ウィックを履修した身としては作品のラストシーンを思い出す。
頂上付近まで到達したのに
そこから転げ落ちて階下に逆戻りした場合、どうするか。絶望するか、諦めるか。
また登ればいいんです。
そして登る時に友が隣にいてくれたら力強い
諦めなければ頂上がなくなることはないんだよね。