昭和53年4月、何かの用事で本島等県議と会い、
その后、滑石の自宅へ私の車で送った。
平和公園、原爆落下中心碑前の国道を通っておる時に、
長崎市の清掃の職員達がトラック数台に、
山の如きゴミを積み込んでいた。
前日の桜の花見客が置いて行ったゴミの処理をしていたのである。
現在の感覚からすれば想像出来ぬ事であろうが、
当時のマナーはそのレベルだったのかも知れぬ ──。
私が「ヒドかですね ──」と言ったら、
「しょんなかさ、他に花見すっとこがなかけんな ──」と、
本島県議は慨嘆した。
その翌年、本島氏は市長選に勝った。
数年して平和公園での花見は禁止となった。
本島市長は2期目であったか、畝刈の廃棄物処分場設置と並行して、
桜の里公園を作りあげた。
現在、満開の桜を市民は楽しんでいる。
ちなみに、平和公園の桜の木、樹勢が若干落ちてはいないか ──。
手当てもせねば ──、青森の弘前城公園の如くに。