①に続けて申し上げるなら、ブリックホールを建てる際、
本島市長は、市に公会堂規模の施設がなぜ二つも必要か ── ?
との市民の意見をかわす事も考えて、
将来公会堂は必ずや老朽化して、取り壊す時機が来る!
と、言ってブリックホール建設を合法化した。
実はブリックホールは頭初の計画にはなく、
あの土地を三菱機工から市が買った時には、
バブル期であったが、高層のビジネスビルを建て、
中央から有名企業を誘致して長崎を活性化させる事を
意図したのである。バブル崩壊でその夢は飛んだ。
そこで考えられたのは地下に大雨時の
浦上地区水没回避の貯水槽を、
そしてその上に公会堂を無理矢理に乗せたのである。
地下の大型ポンプをフルに動かすと、
ブリックホールは揺れる。
それは兎も角として、文化団体のリーダー等は、
将来の公会堂解体は視野に入れていたハズである。
長崎ブリックホール