おはようございます!こんにちは!

 

サンノゼジャパンタウンにあるお寺「サンノゼ別院」を後にした私達。

 

 

そこから徒歩数分のところにある「日系アメリカ人博物館(Japanese-American Museum of San Jose)」へ着きました。

入場料は、昨今の様々なコストアップにより大人一人12ドルに値上がりしたそうです。

 

開場時間の12時になると、どこからともなくお客さんが集まってきて、10人ほどのグループになりました。

 

館内には、英語ガイド担当の方と日本語ガイド担当の方がスタンバイ。もちろん私達は日本語ガイドさんについていきましたよ😆

19世紀後半からアメリカ西海岸へ移住してきた日本人、いわゆる一世(issei)の始まりは、アメリカの労働者不足を解消するのための政策がきっかけでした。

 

それまでは中国人が要員となっていましたが、入国制限がかかったため、代わりに日本人が要請されたのです。

 

その際、海外に単身で渡るのは難しい(日米紳士条約により、家族呼び寄せ以外の渡航は禁止となった)ため、picture marriage(写真だけで相手を見て結婚する)というシステムを作ったそうです。

 

↑結婚するとビザが発行され、渡航できるという…なんともチャレンジングな人生に挑む女性たち。

 

こうして移住してきた日本人達は、農園作業に従事します。一世達は一生懸命働き、大きな労働力となって収入を増やしていきました。

 

しかし、あまりにも活躍が過ぎると面白く思わないのが地元の組合達です。彼らは日本人移民達の農地排除を試みますが、(1913年外国人土地法=排日土地法)失敗に終わります。

 

その後、始まったのが第二次世界大戦。このタイミングを利用し地元のアメリカ人達(白人ね)は、再度一世達を抑圧するよう、政府に呼びかけます。これが、強制収容の始まりです。

 

(↓アメリカ本土の収容所マップ)

何も悪いことはしていないのに収容されてしまう一世達。収容先はカリフォルニア州だけでなく、遠い中西部にまで及びました。

 

収容所の詳細を見ると「assembly center」と書いてありますが、これらは競馬場の跡地など、本来ヒトが暮らすような建物ではなかったそうです。

 

こちらは当時の収容所の模型です。

 

共同の手洗い場。なんか小学校のときを思い出したのは、私だけでしょうか?😅

 

建物の壁には十分な断熱材がなく、厳しい環境での生活を強いられました。

 

物資も乏しかったため、ミカン箱などの廃材を再利用し生活必需品をまかなっていたそうです。

 

↓ここまでの作品となると、もうプロですね!

 

一度外へ出て、隣の建物へ移りました。

 

当時利用していた農機具が保管されています。

 

野菜を作るための種もきちんと管理されていたようです。

 

車にも乗っていたのでしょうか。

 

これは、収容所の部屋を再現したものです。

床板の間には隙間があり、決して快適な空間ではありませんでした。

 

写真中央にバケツが見えますが、冬の夜はあまりにも寒く、外のトイレに行けなかったためストーブ横にバケツを置いて用を足していたそうです。

 

再現部屋の向かいには一人の男性の写真が。こちらはEiichi Edward Sakauyeさん。渡米したお父様の7番目の息子さん、つまり二世の方ですね。

知力、社交性、行動力のとても高い方で、Japanese Americanの発展に大きく貢献したそうです。

 

Sakauyeさんの写真の裏側をまわると、当時日本人が購入し農業をしていた土地の分布図がありました。

所有者の名前が書いてあり、Sakauyeさんを含む日本人の土地には、分かりやすくマーカーがついてありました。

 

しかしこれらの土地のほとんどは、現在アメリカのIT企業が建っているのですよー。

 

最初の建物に戻って、展示物の続きを見ました。

収容所生活が終わり、ジャパンタウンの発展に力を注ぐ日系アメリカ人達。当時あった眼科の様子や…

 

3代続いたお豆腐屋さんなどの様子が展示されていました。

このふたつは、残念ながら実店舗を確認できませんでしたが、お店の内容を変えて、現在も営業を続けているところがあります。

 

Roy's Station Coffee and Tea

以前は一世の方が経営するガソリンスタンドでした。店名のStationは、それが由来しているのでしょうか。

 

お腹が空いたので、こちらでランチを頂くことに。

コーヒーが出来上がるのを待っていたら、素敵なお写真発見💡

 

前身の全盛時代を垣間見ることができました。

 

博物館で買った本と一緒にパチリ📷。

現代の日本人が何の障壁もなく移住して快適に過ごせるのは、差別に負けず力強く生き抜いたisseiの方達が、基盤を作ってくれたお陰なんだなぁと思いました。

 

収容所の跡地や記念碑などは各地にあるそうで、駐在中に機会があったら訪れてみたいと思います。

 

以上です!

では、またね〜