ドレミ29歳;重度の知的障がいあり

故郷の鹿児島を離れて5年半

働きたい場所があって三重県に引越してから早4年と5ヶ月経過。

この間、私は、そんなドレミをサポートするために、鹿児島と三重を往復する生活をしてきた。

 

そんな生活もそろそろ変化する予感がしている。

 

先月、夏休みも兼ねて、一週間ほど親子で鹿児島に帰省した。

以前にもいとこの結婚式等で里帰りしたことが数回あったが、

今回初めて、三重に戻りたくなさそうにしていた。

 

ん?なんかいつもと違う。

 

こういうときの私の感覚はけっこう外れない。

29年もこの娘と過ごしてきたのだから当たり前といえば当たり前なのかもしれないけど。

 

それでも、三重に戻った次の日から三日間は頑張って仕事に行った。

生理痛も重なって辛そうだったが、責任感の強いドレミは休まなかった。

 

そしてその翌日。職場の定休日。

ゆっくりしているところへ事業所のスタッフさんからお電話。

ドレミがコロナの濃厚接触者であることが判明。

保健所からの指示待ちで、二日休んで三日目にPCR検査

更にその翌日、ドレミは陰性であることがわかり、次の日に事業所は保健所の許可により再開。

それなのに。。。

それっきり仕事に行かなくなってしまった。

 

張り詰めていた糸が切れた

 

そんな感じを受けた。

重度の知的障がいを持ちながらも、故郷を離れて新しい環境へ飛び込み

本人の力で新しい居場所を作ってきた5年間

疲れたのかな。。。

 

母親としてはそう感じるけれど、

本人に聞いたら   『することがないから』 と、ひとこと。

 

いろんな感情はあるのだと思う。

この5年の間に、コロナの影響を受け、業務内容も変わり、仲間も去って行った。

活気があった事業所も今は寂しい感じ。

 

今後、どうするのかはまだ決めていないけれど

そろそろ三重を引越すことも視野に入れている。

 

ずっとこの生活が続くとは思っていなかったけれど、

覚悟する瞬間って、けっこういきなりなんだなと半分だけ戸惑っている。