駅の先 1 | クリーチャーガレージキット人間のブログ

駅の先 1

毎朝込み合っている電車に揺られていると、
ふと我に返る瞬間はないだろうか。

現状の混雑の息苦しさだけで
耐え切れないかもしれないのに
見渡す車内には
無駄に大きな音で音楽を聴いている人や
過ぎている香水のキツイ臭い、
無駄に感じる視線。

綺麗な女性が自分の前に立っている時なんかは
喜ぶどころか、
両腕でつり革を持って
誰も気づかないのに
やってないアピールをしてしまい、
めんどくさいったらない。



それらの事柄が充満しているだけで
深海に沈んでいく気がする。
そしてそれらのネガティブな想像は
時間の経過を遅くする作用があるので
目的の駅はさらに遠く感じ、
無駄な事を考えてしまう時間が増えていく。
時間が多くなった分、考える事も増えるので
この後にはじまるマンネリな一日を想像し、
それに恐怖して
呼吸困難に陥りそうになる。


心に、酸素と明かりが欲しい。


そういう時、
決まって思い浮かべるのは
このまま降りる駅を過ぎても電車に乗り続ける事。


妄想の中では自分勝手に都合のよい想像が
進行し始める。

乗り続けるほど、
徐々に人が減っていき、
気が付くと一度も行った事のない駅に
到着している。

その駅は無人で、
目の前に広がる景色は、
静かな海か、のどかな田園風景。


木造の改札に、無骨な石畳。

そこまで想像すると、自然と気分が落ち着いた。


そんな事を繰り返しているうちに、
妄想が一人歩きをはじめ、
ある日を境に

「もしかしたら本当にそうなのではないか」



「行ってみないとそうかわからない」
に変わり始めた。


そしてとうとう
「乗り越し」をしたい気持ちが
抑えられなくなった。


その日の決心は固かった。
季節は、夏だった。



いつものように電車に乗る。
いつものように混んでいて、
いつものように暑い。
変わっていたのは自分の気持ちだけだった。

目的の駅が近づくと、
鼓動がどんどん早くなるのが分かる。

鼓動はこれから訪れるであろう、
妄想に過ぎなかった冒険が
現実になるのではという期待で
高まっていたのもあるが、
実はそれだけでなく
現実の社会責任を犯してしまう
恐怖心の作用も混ざっている。



降りるべき駅に着いたとき、
いつものように足が一歩前に出そうになった。
日常の連続した習性が起こした無意識の行動だ。


何度かこらえた。
葛藤。

そしてようやく、電車のドアが閉まった。
降りなかった。

電車は再び揺れ始めた。
駅が遠くなっていく。


いつもの駅がどんどん離れていくのは、
はじめて見る光景だった。


駅が見えなくなり、
しばらく見知らぬ風景が続くと
次の駅についた。


この駅もまた、見たことのない景色だ。

そのまま次の駅、また次の駅と
電車は進んでいく。

日常を変えてしまった事の緊張感で、
窓から離れられなくなっていたし
とんでもないところに行ってしまうのではないかという
恐怖心が芽生えてきて、
どんどん進んでいく見知らぬ景色から
なかなか目が離せなくなっていた。



ようやく落ち着き、周りを見回すと、
あれだけ混んでいた車内に
今は椅子に座れるほど
人少なくなっていて
それからまたしばらくすると、
同じ車両にいるのはほんの2~3人になっていた。


ここで、ようやく妄想と現実が重なった。


やはり!

自分の求めていた景色に出会える期待が高まり、
最後まで行ってみようという決心がついた。

電車は、満員の時より
ゆっくりと進んでいるように思えた。