カラテ 試合出場 最後 | クリーチャーガレージキット人間のブログ

カラテ 試合出場 最後

カラテを辞める事にした。

10年も指導をさせてもらった。


カラテに携わった時間は
指導をさせて頂いたのが殆どの時間だったのに
思い出すのは
つらく厳しい修行の中がんばった事、
試合でほんの少しだが燃焼できた事ばかり。


きっとこのすばらしい思いを伝えたくて
こんなに長い間 指導できたんだと思う。


カラテをやめて自分に残ったもの。
それは幼い頃、遠い昔に
忘れてしまった大切な自信。


喧嘩をしたり揉め事が起こる度
殴られる事が嫌で、
喧嘩に負けるのが嫌で怖くて
いつの間にか逃げる自分になっていた。


どんなに嫌なことを言われても
最後には「オモテに出ろ」と
腹を据えられる以上は我慢ができる。

ただ我慢するのとはわけが違う。

ガキみたいだけど、
自分には大切な事。

そういう自分を作る事が出来た。




カラテを辞めた理由。
色々な理由が重なったけど、
今感じるのは
上からの理不尽な圧力。

上からの命令はすべて
「はい」でいなくてはいけない世界。
横暴、理不尽、我侭な一人の人間で
この世界は成り立っている。


社長が部下をこき使う。
きっとどの世界でもあるごく普通の事なんだろう。
騙し騙され、これで人間社会は成り立っているのもわかる。

でも、武道の世界ではあってはいけない。
武道は、理想であってほしい。
少なくとも自分の周りでは
そういうのは見たくない。
綺麗事だけど、それを望んでしまった。


この間相撲部屋で、
八百長を認めた人たちは退職金をもらった。
最後まで認めなかった二人は
なにももらえなかった。
世間一般から言えば後者は損だし馬鹿だろう。


でも、自分が正しい事を一番良く知っている。


やっていないものはやっていないと
言い張る人間がいても言いと思う。
昔はいえなかった。
でも、今はおしきってやる。


裏側まで知ってしまってから
10年もたってしまった。
時間がたちすぎた。
10年目。これを逃したら
俺は一生この世界を受け入れなくてはいけなくなる。

尊敬できる先生、楽しい場所、仲間、子供たち。
別れはつらい。重い。

お互いを尊重しあい
初めて成り立つ押忍の世界。


俺は全てを捨てる事にした。





さて、試合の結末がどうだったかと言うと、
俺は負けた。

全力を出し切って、負けた。
初めて清清しい!と思えた。
さっきまで意識を失うほど苦しかったのに、
今はジャンプしたらぶっ飛んでいきそうなくらい
体が軽かった。

全てのプレッシャーがなくなったんだ。


試合を終え、相手のTさんと思いっきり抱き合った。

俺はホモじゃないから男同士で抱き合うのは嫌いだが、
めちゃくちゃ思いっきり抱きしめてしまった。
向こうもベアハッグかと思うくらい強く抱き返してきた。
Tさんは俺が唯一抱きつける相手なんだろうな。

実はTさんとは後日談がある。
この試合のお話は、その話のプロローグだったりするんだけど、
それはまた近いうちに書くとして・・・。



試合場に礼をし、死闘を行った舞台を後にした。

振り返ると、あふれんばかりに、
応援してくれたみんなの笑顔があった。

みんなねぎらってくれた。

結果は残念だったはずなのに、
みんな笑顔で出迎えてくれた。



父親も笑顔だった。
好き放題してる出来の悪い息子だが、
少しだけいいかっこできたかな。



さて、その後このすがすがしい気分はどうしたのかというと
本来表舞台に非常に弱い自分は、
試合に出る事を拒絶し続けちゃった。


だって、あんなにすばらしい経験をしたのに、
次の試合で1回戦負けして、
台無しにしたくないじゃない?

そう、完全に燃え尽きちゃった。



その後 先生の配慮によって道場では
後輩の指導に当たることになった。


それから10年たって、
さっき書いた理由で道場を去ることにした。


カラテを辞めると決めて
自問自答の憂鬱な日々が続いた。
人間関係もどんどん変な方向に行ってしまうし、
綺麗な形で終わりたかっただけに、
とても残念だった。


その頃、アウトサイダーという
超面白い&感動する試合を観戦したりして、
総合格闘技に興味を持ち出していた。

まあ、現役でバリバリというよりは
体をなまらせない程度にできたらなとか思い、
辞めて落ち着いたらジムでも探そうと
かみさんと会話していた時、
何気なくアイフォンでメールフォルダを開いた。


そこには・・・・・



クリーチャーガレージキットの
常連さんから
「八木さんじゃないすか?俺はあなたを知ってます」
とメールが入っていた。



・・・・・・・?なんだこれは・・・


続く