フィギュア 今思うリアルなフィギュア職人の技術とは
確かタミヤだったと思うが、
実物の車から寸法まで計算し、寸部違わない
プラモデルの車を1/35に縮尺して作った際
ものすごく違和感があり、迫力の無いものに見えた。
その後、寸法を測らず、感性に頼り作った時
自分の思っていた車ができたという。
見上げるサイズの仏像を
寸部違わず60cmサイズに落とし込んで作ったとき
頭でっかちの変なものが出来上がった。
見上げたときの印象そのままに、
寸法を無視して作った時、初めて納得できたという。
役者をコンピューターでスキャニングし
縮尺してフィギュアにした。
似ている人にしか見えなかった。
特徴を誇張して作ったディフォルメのフィギュアの方が
似ていたという。
なぜこのようなことが起こるか。
今から10年前の話だが、
気になったので
脳を研究している教授に質問してみた。
人間の脳は補正がかかっており、
目に見えるものは大体 殆ど同じでも、
厳密には個人個人見えているものは違っているそうだ。
人差し指を眼球のやや後ろまで
持ってきたとき、指が見えるだろうか。
見えるはずだ。
しかし、そこに視力は存在しない。
何故見えるのか。
見えている指は、脳が補正して
見えているようにしているのである。
実際には見えていない。
見えるはずが無い。
なぜなら人間の視力は
眼球の届く範囲にしか存在しないからである。
視覚にたよる人間の性質。マジックである。
思い込みの性質もしかり。
コーラだと思って飲んだ飲み物が
お茶だったりすると、
不思議な感覚にならないだろうか。
大好きな食べ物でも
何の情報も聞かされず目をつぶって食べると
たいした味はしない。
人間の脳が思い込みで起こす現象である。
そこで、自分なりの答えが出た。
フィギュアもしかり。
完全に同じものを作るのは
この先、近い未来に
コンピューター技術が出来る技術だ。
とするなら職人はいらなくなるのか。
否。
感性という技術で
脳に若干の嘘を脳につくことは
意識が無い今のコンピューターにはできない。
役者のフィギュアの場合、
普段動いているものが完全に止まって見ることになる。
ということは静止画を手にしていることになる。
しかし役者は、
動きにプラスして演技までしている。
その演技の部分や、心情まで立体にするのは
人間の感性がなくてはできない。
その表情は、微妙な口の上がり具合だったり、
細めた目だったり、眉間の皺だったりする。
大きな仏像で言うと、
下から見上げることがあっても
正面から見ることは無い。
なので、下から見上げたときに想像した
正面からの画を立体化すると
より説得力がある。
どう表現するのか。
フィギュア職人のこだわりだと思う。
ただ、誇張し過ぎると
個人の差が開いてしまうので
そこのおとしどころが難しいのだろう。
成立の仕方が
キャラクターによってだったり、
その場面だったりで違ってくる。
また人間の感性の個体差は
そこまで大きくないので
最低限の基本的な骨格、肉付き等、
デッサン力を要すのは必然だ。
ここに書いたことは自分の中のフィギュアに求めているもの。
この事柄自体、人それぞれの見方が存在するので
なにか新しい見方を見つけるのもまた楽しいと思う。
今後もコレクションしていく上で、
そんなフィギュアに出会えたらと思う。
実物の車から寸法まで計算し、寸部違わない
プラモデルの車を1/35に縮尺して作った際
ものすごく違和感があり、迫力の無いものに見えた。
その後、寸法を測らず、感性に頼り作った時
自分の思っていた車ができたという。
見上げるサイズの仏像を
寸部違わず60cmサイズに落とし込んで作ったとき
頭でっかちの変なものが出来上がった。
見上げたときの印象そのままに、
寸法を無視して作った時、初めて納得できたという。
役者をコンピューターでスキャニングし
縮尺してフィギュアにした。
似ている人にしか見えなかった。
特徴を誇張して作ったディフォルメのフィギュアの方が
似ていたという。
なぜこのようなことが起こるか。
今から10年前の話だが、
気になったので
脳を研究している教授に質問してみた。
人間の脳は補正がかかっており、
目に見えるものは大体 殆ど同じでも、
厳密には個人個人見えているものは違っているそうだ。
人差し指を眼球のやや後ろまで
持ってきたとき、指が見えるだろうか。
見えるはずだ。
しかし、そこに視力は存在しない。
何故見えるのか。
見えている指は、脳が補正して
見えているようにしているのである。
実際には見えていない。
見えるはずが無い。
なぜなら人間の視力は
眼球の届く範囲にしか存在しないからである。
視覚にたよる人間の性質。マジックである。
思い込みの性質もしかり。
コーラだと思って飲んだ飲み物が
お茶だったりすると、
不思議な感覚にならないだろうか。
大好きな食べ物でも
何の情報も聞かされず目をつぶって食べると
たいした味はしない。
人間の脳が思い込みで起こす現象である。
そこで、自分なりの答えが出た。
フィギュアもしかり。
完全に同じものを作るのは
この先、近い未来に
コンピューター技術が出来る技術だ。
とするなら職人はいらなくなるのか。
否。
感性という技術で
脳に若干の嘘を脳につくことは
意識が無い今のコンピューターにはできない。
役者のフィギュアの場合、
普段動いているものが完全に止まって見ることになる。
ということは静止画を手にしていることになる。
しかし役者は、
動きにプラスして演技までしている。
その演技の部分や、心情まで立体にするのは
人間の感性がなくてはできない。
その表情は、微妙な口の上がり具合だったり、
細めた目だったり、眉間の皺だったりする。
大きな仏像で言うと、
下から見上げることがあっても
正面から見ることは無い。
なので、下から見上げたときに想像した
正面からの画を立体化すると
より説得力がある。
どう表現するのか。
フィギュア職人のこだわりだと思う。
ただ、誇張し過ぎると
個人の差が開いてしまうので
そこのおとしどころが難しいのだろう。
成立の仕方が
キャラクターによってだったり、
その場面だったりで違ってくる。
また人間の感性の個体差は
そこまで大きくないので
最低限の基本的な骨格、肉付き等、
デッサン力を要すのは必然だ。
ここに書いたことは自分の中のフィギュアに求めているもの。
この事柄自体、人それぞれの見方が存在するので
なにか新しい見方を見つけるのもまた楽しいと思う。
今後もコレクションしていく上で、
そんなフィギュアに出会えたらと思う。