【明治・大正期書籍紹介】関野貞著『韓国建築調査報告』(11)総論8 | 流じゅーざの『日韓・朝韓』

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バンコク在住のじゅーざです。
 
本シリーズは、故関野貞(せきの・ただし)氏(1868~1935年)の『韓國建築調査報告』の現代語訳です。本書は、明治35年(1902年)に朝鮮の各地を訪問し、古建築や遺跡を調査し、報告としてまとめてもので、大韓帝国末期の宮殿、寺院や遺跡の写真や見取り図、詳細の観察報告が掲載されている貴重な史料です。原文は旧仮名遣いの古い文章ですのでここで現代語に訳したうえ、必要に応じて注釈を加えたいと思います。
 
『韓国建築調査報告』のまとめページはこちら↓↓↓
【明治・大正期書籍紹介】関野貞著『韓国建築調査報告』のまとめ&メニューページ(現在連載中)
 
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『韓国建築調査報告』
工科大学助教授 関野 貞
第一遍 総論(6.社会の続き)

 

7.形式の分類

韓国での建築遺物で多少残っている物は、三国時代以後に属する。それ以前のものでは歴史の欠落と遺物が皆無であることによって、私にはほとんどその一端も窺い知ることが出来ない。三国以後であっても高麗の終わりに至るまでは往時のまま残存するものは極めて稀で、特に木造建築については全くこれを発見することが出来ない。したがって当時の建築形式は十分に検討するに足りる資料に欠けている。しかし、私はわずかな遺物と当時の中国との国際的関係によって推測して、新羅の文化は(高句麗や百済と共に)漢以後唐時代の文化を反映しており、高麗の文化は宋元の大きな影響を受けたことを知ることが出来る。しかし朝鮮王朝の文化は明清の文化による感化を非常に多く蒙っているようだ。私は、もし漢・魏、六朝隋唐の技術と宋元明清のものと互いに特徴を異にし、固有の特質を持っていることを理解すれば、直接これらの技術を持って来て韓国古来の技術の形式の理解に応用したとしても大きな不都合を醸し出さないのではないだろうかと考える。

 

私はこの見地から試みに韓国の古来の建築様式を以下のように分類してみる。

 

・新羅時代  漢以後唐代の影響を受けた時代

  新羅の始祖赫居正の即位元年から高麗の太祖の元年に終わる、即ち西暦紀元前57年から918年に至るまでの凡そ975年間を含む。

 

・高麗時代  宋元の影響を受けた時代

  高麗の太祖の元年からその滅亡に終わる即ち912年から1392年に至るまで凡そ475年間を含む。

 

・朝鮮時代

  朝鮮の太祖の元年即ち1392年から今日に至るまで凡そ513年

 

なお詳細に論ずれば、新羅時代は三期に分けることが適当である。即ち(甲)漢の影響を受けた時代、(乙)六朝の影響を受けた時代、(丙)唐の影響を受けた時代である。しかし韓国(訳者注:大韓帝国)では甲乙の時代の遺物は極めて稀で別に一期とするには足らないので、便宜のためにここでは一括して一時代として論じることとする。

 

新羅以前に遡らないのは私が調査した範囲内においてその時代の遺物が全く無かったので省略したものである。

 

 

(第1編終わり)

 

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今回終わり
 
 
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