帰りのフエリーの中で皆で相談した。
「どうしようか?、宗像大社の辺津宮に行かねば今回の神業は終わらないと思うけど、どうする?
このまま行く?
それとも出直す?」
と咲良は皆の意見を訊いた。
「宗像大社は渡船場から直ぐだから、続けて行って済まそうよ」
という純一の言葉に全員賛成して、上陸するとそのまま宗像大社に向かった。
広い駐車場に車を停めて、本殿の拝殿、つまり辺津宮の前に立った。
二礼三拍手一礼して咲良が訊ねた。
「こちらにおいでの市杵島姫神(いちきしまひめかみ)様、おいででしたら私にお声をおかけ下さい。」
返答が無い。
可笑しいなと思い神感を澄ましていたら、本殿の裏で微かな気配がした。
皆を誘って本殿の裏に回ると、神木の楢の木に女神の存在を観つけた。
やはり三拍手して声をかけたら、
『わらわの名はそんな名前では無い。』
と素っ気ない返事が来た。
「失礼致しました。
天照比売(あまてらすひめ)之大神様でいらせられますか?」
『いかにもわらわは日之大神の長女神、天照比売之大神である。』
と貴賓高い凛とした声がかえって来た。
「私は福岡市南区に現世の住まいを赦されております吾味咲良と言います。
実は、先日から、沖ノ島の沖津宮におわします山武姫之大神様と本日午前中には宗像大島の中津宮においでの玉依姫之大神様にお会いいたしました。
そして、只今ここに参りました。
どうぞ、天照比売之大神様、お気持ちをお明かし下さい。」
『そうであったか、あの妹神達はどうしておった?』
「お二神様共立派にお役を全うされておられて、姉神様であらせられる天照姫様のことを御心配されておられました。」
『そうですか?
わらわは何も知らぬのだ。
一番先にこの地球神界から逃げ出した身ですから、その後のことは何も関与していなかった。
ただ天上界に戻って、根元様から怒られて、罰として、暗い所に閉じ込められていたのです。
その間に我が名前を、本人が居ないことを良いことにして、勝手に自分達の宗教に取り込んで、主神の名として使っていたようですね。
多くの人間達を我が名が騙すことになり、申し訳無いと、この地球神界に戻されて初めて気がついた。
私のわがままが、妹神達だけで無く、多くの神々や人間達にかけた迷惑の数々に今でも身がすくむ思いをしています。』
「もう、既に根元御慈悲は発動されていますので、天照比売様もお顔を上に上げられて、姫神様としてのお役を成されたが良いのではありませんか?
この宗像大社の、辺津宮、中津宮、沖津宮を一線で結ぶと見事に北西ー東南を示しております。
この線は日津地神線と言われる女神の神線です。
男神の神線、いわゆる、鬼門である北東ー南西と見事に対比しております。
その重要な神線の一番元となるこの辺津宮をお護りになる天照比売之大神様のお役はこの上にあるあの高宮に繋がる大変な位地なのです。
あの高宮は根元様が天降られる御場所と漏れ伺っております。
その護りのお役は天照比売様以外の神様には出来ないことで御座います。
そのことをよくお考え頂いて、天照皇大神宮やここで付けられた市杵島姫神等という御名は、次第に忘れられることになると思いますので、ほって置かれるが良いと思います。
この世は既に昭和56年8月に富士山天空に於いて、根元様が『和合宣言』をなさいました。
依って、争い事は避けて、何よりも和合に努められることが寛容かと、存じ上げます。」
『そなたの言う通りである。
そなたに会えて良かった。
妹神達とも出来れば会いたいものである。』
「毎年、秋の『みあれ祭』にはお二方はこの辺津宮に来られてはいないですか?」
『いや、一度も来てはいない。
今の神事では船にも乗られないであろう。』
「ああ、そうでしたか?
分かりました。
それではこの秋のみあれ祭には、私も参加して、私がご案内して参りましょう。
必ず、お約束致します。」
『良しなに、願い申します。
10月1日が待遠しいなあ。』
天照比売様に別れを告げて、帰りの車の中で、咲良が太一に頼んだ。
「太一さんお願いします。
良二さんの船に、みあれ祭の時に乗れる様にお願いしたいのです。
頼んで於いてくれませんか?」
「あのね、咲良さん、無理だと思うよ。
みあれ祭の御神行の漁船も女人禁制だから。」
「私、その日だけ男になります。
だから頼んでみて下さい。」
「一応頼んだみるけど、どうかな?
確約は出来ないなあ!」
「あのね、フエリーに乗って行くことが出きると、Google検索に書いてあるわよ!」
と友香が調べて言った。
「最悪の時は、それも考えてみましょう。
でも一応良二さんに相談してみて下さい。」
「分かったよ。
相談してみるよ。」
(つづく)