6月になった。

情報がもたらされて来た。

「対馬に元の東路軍が攻めてきて、戦いが始まった。」

ということだった。
対馬ではかなり抵抗をされて、東路軍は足踏みをして占領するのに日数を要し、やっと5月26日に壱岐島に到着したのであった。
6月6日、東路軍軍船が博多湾に迫り、博多湾岸に上陸して来たが、日本軍は既に博多湾岸に20kmにも及ぶ石築地(元寇防塁)を築いていて、応戦するかまえを見せた為に東路軍は上陸を諦め、まずは志賀島に上陸した。
6月8日日本軍の御家人達は二手に別れて志賀島を海からと陸続きの海ノ中道から攻撃したのでした。
大変な戦いが繰り広げられて日本側は300人の兵士が犠牲になったが、翌日も攻撃して、東路軍はたまらず、ついに6月9日、壱岐に敗退したのでした。
壱岐に敗退した東路軍は南軍との約束の6月15日を過ぎても南軍が合流することが無かった。
南軍はその頃やっと出航して、6月末に平戸島に4,000人の兵士で上陸して島の回りに軍船を係留して、壱岐の東路軍に連絡したのでした。
日本の松浦党、彼杵、高木、龍造寺等の数万に近い兵士が壱岐島の東路軍を攻撃した。
東路軍はたまらず、平戸島に敗退して行ったのでした。
そんな情報は次々に国命達ものところにもたらされて来ました。
7月29日、日本軍は、東路軍の占領した鷹島回りに係留する軍船を攻撃しました。
それでも、鷹島回りや伊万里湾から平戸島にかけて多くの軍船が係留していたのでした。
7月30日夜間に突然台風が平戸島や伊万里湾を襲い、係留していた元軍の軍船は風で互いにぶつかり、お互いに大破したのでした。

  水中考古学

そして多くの船が難破して沈み、多くの兵士達を失ったのでした。
元軍はこの損害を受けて、軍義を重ね、撤退を決めて、逃げて行ったのでした。
その敗走した後には平戸島では70頭の軍馬が残されていました。
鷹島には破損して航行出来ない軍船と10余万の兵士達が取り残されていました。
日本軍は7月5日、伊万里湾内に係留されて航行不能になった軍船と残兵達を攻撃したのでした。
そして7月7日、鷹島を総攻撃して元軍を死滅させて、2~3万の捕虜を捕まえて全ての残兵の一掃が終わったことが知らされたのでした。
鷹島で捕虜になった兵士達は殆どが博多に送って来られて、工匠や農事に知識のある者と交流のあった旧南宋人以外は那珂川の岸で斬殺されました。
国命が命じて用意していた人夫と荷車が忙しく遺体を怡土の高麗寺に用意された大きな墓穴まで運んでいたのでした。
実は鎌倉幕府は六波羅から6余万人に及ぶ兵士達を集めて、博多に進行させていたのですが、彼等が関門海峡を渡る前に元寇の襲来は終結を迎えていて、役目を果たすことはありませんでした。
その為に九州の御家人達は戰の報酬を鎌倉幕府に要求したのでした。
しかし、攻撃されて、防御しただけで、しかも、石築地の健造や軍備の強化等に多大な資金と労働力を費やしていて、鎌倉幕府は御家人達に充分な恩賞をあたえることは出来ませんでした。
その後の蒙古襲来に対する備えもしなくてはならず、御家人達は戦費に窮して借金に苦しむ者が多く、その為に御家人達を救う為に徳政令を発布して助けようとしたのでした。
国命はこのことを知ってはいたが、前から付き合いのある御家人達には金を融通してやっていた。
当然返却されることがないことは承知の上でした。
しかし、国命は他の御家人には金を融通することは避けていたのでした。
博多百堂の他の商人は多くが御家人に金を貸して、幕府の徳政令で棒引きにされて、大きな損をして殆どの商人は苦しんでいた。
貨幣経済の浸透と共に百姓階層の分化に伴う村落社会の形成が進み、13世紀の半ばから始まった日本社会の変動は、この元寇の影響でますます進んで行った。
借金が棒引きされた御家人も、後に商人が徳政令を警戒して、御家人との取引、融資等を極端に警戒して、渋る様になり、結果として、御家人達は資金繰りに行き詰まり、没落して行ったのでした。
御家人階層の没落傾向に対して新興階層である商人の活動が活発化していき、御家人の中にも鎌倉幕府に不信感を抱く者達が次々と登場する様になり、やがて大きな流れてとなって、最終的には鎌倉幕府滅亡の遠因となったのでした。
国命はもうすぐこの13世紀の世から現世に戻る時が近づいた事を思いだし、妻のキヨと国継に相談して、隠居することを決めて、博多網首の地位を退き、長男の国世に譲り、国継を輔佐につけて、キヨと2人で小呂島に住家を移したのでした。
小呂島の隠居家で安堵して床に着いたのでした。
枕元には、母の形見の翡翠の腕輪を置いていました。

国明は夢をみていました。

『国明殿、目を醒まされよ。
私だ。
我が龍体に少し色が着いたのが判るか?
薄い青色を帯びたであろう?
あともう少しで青龍と言われそうに成ってしまった。
そなたを現世に根元様の赦しを受けずに出した神規違反の罪をうけたのじゃ。
我々龍体神は神規違反をすると体に色をつけられるのだ。
色が濃ゆいほど、罪が重いのだよ。
その上の罰は手足や目を取り上げられて蛇体やミミズ等に落とされるのだ。』

「何とお呼びすれば宜しいのでしょうか?
青龍様とお呼びして良いのでしょうか?」

『まだ、慣れていないが、そう呼んでくれて良いだろう。』

「青龍様、それで、私を呼び戻しに来られたのですか?」

『いや、私が根元之大御神様に実情を話してそなたの現世への輪廻転生を御赦し頂く事ができた。
その代わり私の体の色が濃ゆくなったんだ。
だから、そなたが現世に戻っても良いと言うことを知らせにきたのだ。
目が覚めたら、現世にいるだろう。
高田恭子殿が待っているであろう。
あの魂はそなたが知っている通り、懐かしいキヨ殿の魂だから。
あ、しまった!
要らぬ事を喋った様だな。
また根元様から罰を受けるかも知れぬな!』

国明は自分の自宅のベッドで気持ち良く目が覚めた。

                                                                                      (完)

明日からはフアンタジー小説「魂の棚」を掲載します。