富長城から名和一族の墓、名和城、名和氏館跡を巡る。

今日は、隠岐の島全体が、しっかり見えた。

滅多にこれほどはっきりは、見えない。

スマホなんで映り悪い、近くに見える

祖母のしげさ節を思い出す、隠岐に伝えた北前船とは、長尾屋廻船問屋だと思う。

名和一族、五輪塔。

地中に埋もれていたと言う

我が家先祖の五輪塔も埋めてある、名和氏も隠さなくてはいけない時代が有ったのか。京都で長年が没した後、埋めたのだろうか。🙏


名和氏館跡

名和城だったのか、一族の墓がある小山


大山に向かって行くと、こんな碑があった。船上山の戦い。

岡山県との境には、やはり腰掛の場所(休石)がある。凱旋桜のある真庭とは道が違うが行きと帰りか。隠岐に流される、行きが新見から明地峠を通った。若い頃、田舎に帰る時、明地峠を通るが途中で後醍醐天皇の石を見た記憶があり、今回調べた、しっかり記憶しない若い頃。

隠岐迄、後醍醐天皇が通った道。地名は千屋花見、板井原、下蚊屋、御机、安養寺など。千屋花見は故郷の隣、板井原は身内に縁有り、下蚊屋御机はスキーで通る。今は、そんな記憶や人が生きた痕跡、時代が有って今があると思う。名和一族郎党の墓、手を合わせて帰る🙏