先日の小波城から富長城に行った。

海沿いから城址更に国道迄が、文化財保護区になっている。

鎌倉時代1330年頃に有った城、700年昔。

東入り口付近の一里塚

城郭側、高さ15m以上に見える。東側堀


城郭は神社、中に五輪塔、南側の町道にも五輪塔があるが、五輪塔は尼子毛利時代、杉原氏福頼氏が居城にした頃のものか。

北側に土塁

城郭の中、海側には林

近年土塁を削ってしまう、町から叱られたと聞く

南側土塁 町道から

堀だったなら南側も10m位の堀か、水路は残る

西側の土塁、堀は二重だったかも知れない。

海に向かって入り口だったと思う北側

下には海沿いの狭い道がある

唯一、後醍醐天皇の時代、戦の機能を果たした城か、矢竹が沢山、更に西側にも切り落としらしい場所がある。

この辺りまで城郭だったと思う。左はすぐ海

矢竹も多い

名和氏の家臣とも聞く荒松氏の築城。

木々が無ければ、隠岐の島も見える城。

後醍醐天皇を迎えいれた城かも知れないと思ってしまう。ここから名和迄2キロだ、名和神社辺りから一里位だが、一里塚は、何処から一里だろうか。名和城、更に後醍醐天皇が、上陸した松河原の西に長野城がある。