以前の記事で
リカバリーの回復段階について、4つの段階があることを書きました。
1つ目の「希望」について、今回は書いてみることとします。
病いの渦中にいるときに、「希望」というものは、なかなか見出しにくいことかもしれません。
私も、落ち込んだときや、ショックなときに、「希望」を感じて立ち向かうことは難しくなります。
私は「希望」については下の図式が成り立つのではないかと考えています。
つまり、
患者さんが「希望」をもつこと=専門職なり、家族なり、周囲の人々が、患者さんの「可能性を信じる」こと
これは、相互に作用する関係だと感じています。
コードハーティング博士は、退院後、社会でうまくやれている患者さんが、とても多いことを報告し、専門職がこの事実を信じられないのは、回復後の患者さんの状態を知る機会が少ないためであるとしています。
私も病院内で勤務していた頃は、急性期の状態の患者さんに出会う機会が、現在よりもはるかに多くありましたが、そういった経験が長い専門職ほど、患者さんの「可能性を信じる」ことを忘れてしまいがちになるのではないでしょうか。
実際、私自身、患者さんの地域での生活の様子を見せていただくなかで、
「障害とうまく付き合いながら豊かな生活を送っている方」に沢山お会いすることができました。
患者さんが、病気と付き合いながら、現実的な「希望」や「夢」について語られる場面に遭遇すると、わたしもうれしく感じます。
ときに、突拍子もないような、浮世離れしたような「希望」を語られる方もおられますが、実際やってみる中での「気づき」があり、それをうまく専門職が拾いあげることで、修正を図りつつ、自己実現に向かわれる方もいらっしゃいます
専門職が行う適切な治療や科学的判断 と 希望を持った楽観的態度 というものは、
二者択一のものではなく、車の両輪のように、同期的に、且つ、回復段階に応じて適切に分配されながら、提供されなくてはならないと考えています。。
私は、「病気があるからそんなことは無理」という態度ではなく、「可能性を信じる」立場でありたいと思います。