中学生の頃から
息切れ、動悸、多汗が酷かった娘。

先日、高校への登校中
昇降口の手前で倒れて
先生に担がれ

保健室に運ばれた娘…。


私自身が極度の貧血、そして 血小板減少症であるため
数カ月にわたり点滴治療を受けていたこともあり

娘も貧血なのでは?
と考えていた。


でもさすがに
娘が倒れたと聞いた時

これはもう診察を受けねば!と思い
昨日、ようやく娘を病院に連れて行った。

注射が大嫌いな娘は
中学生の頃から
それが嫌なため
断固として病院に行くことを拒否した。


ですが、保健の先生に
「病院に行って検査をしなさいね」と言われて
ようやく決心したのだ。


採血、レントゲン、心電図の検査を経て
判ったこと。。。






娘は







バセドウ病だった…。









先生に言われて初めて
気づいた…。
娘の首が腫れている…。




今までの、極度の疲労感
動悸、脈拍(133)の速さは

貧血でも体力不足でもなく

全てが
バセドウ病によるものだった…。



娘は、顔を真っ赤にして
学校から帰ってくることが常だった。
異様な多汗も
食べる割に体重の増加がないこと
階段の上り下りでさえ
心臓がバクバクいってること

それら全てが
バセドウ病の症状だった。

昨日の血液検査の結果では

甲状腺亢進症の数値を示す値は
あまりの悪化で数値を振り切って
数値表示ができない程の
最悪の検査結果だった…。


私は
娘が運動が苦手でも
疲れても
「走れなくても人生 生きていける!徒競走がビリでもタイムが悪くても全く気にすることはないよ!それは、個人差なんだから」
と、娘を叱咤激励することは決してしなかった。


娘は、自分が他の生徒より劣っていることを
とても気にしていたが

気にすることはないよ(^ ^)

といい続けてきた。



しかし、夫は
「運動不足だから、そうなるんだ!走って体力つけな!」と一刀両断していた。


そのたび、「パパの言うことなんて気にしなくていいよ!世の中には勉強が苦手な子、話すことが苦手な子、運動が苦手な子、いろいろ居るんだから。^ - ^。
そのまんまでいいんだよ。無理はしなくていいの♪」と

いい続けてきた。


娘に何か病気が潜んでいるのでは…?
と気になりつつ


私自身が難病に侵されてしまって
そこまで考えが及ぶ余地がなかった。。。






今になって
こんな結果になってしまって


もう少し早く診察を受けていたら…
もっと娘のことを気にかけてあげていたら…

と悔やまれる…。






この細く小さな体で
どれだけのストレスを抱えていたのだろう…。
娘が小学5年生の時、中学1年生の時
私は生存確率が半分にも満たない頭部手術を2回受けている。
「2回目の手術は、生存確率は未知数です」と宣告されるほど
難解な手術を受けた。


娘は胸が引き裂かれんばかりの
辛苦を味わったに違いない。
その後、私はフィッシャー症候群という難病に侵され
歩くことも観ることも出来ない身体になってしまった…。

娘の頭の中で
「ママが死んじゃうかもしれない…。」
という多大なストレスは確実にあったと思う…。





そんなストレスが
娘を、バセドウ病にさせてしまったのかもしれない
と思うと、胸が引き裂かれそうだ…。



これから、何ヶ月も何年も続くであろう治療は、娘を縛り付けることになる。
医師からは、運動制限も出された。

体育の授業はすべて禁止。

今まで歩いて通っていた高校も
通学はバス通学にさせるようにする。



娘を産む前に
私は
免疫不全に関わる病気に羅漢している。。。

もしそれが遺伝として
娘に注がれてしまい
このような形になってしまったのだとしたら…。

そう直結して考えてはいけないことだと分かっていても
考えてしまう…。





これからは、娘に
無理はさせず
治療に沿って
医師の言葉に従って生活させるしかない。


私と娘の
長い闘病生活が
始まる。


私が凹んでる場合ではない。





娘に支えてもらった時間を
今度は私が少しでも返していかなければ。
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私の愛する大切な、実季。