↑日本一に輝いた1954年当時のユニフォーム。
モデルは森野将彦。


1991年に発売されたアルバム『大竜界』に収録されたver。

冒頭では、1988年の優勝を決めた瞬間の実況が収録されている。
「…三振でピシャリと抑えて欲しいような気がするんですが。」
「そうですね。」「ええ。」
「ああ~お客さんが少ないです!大変な声援です!『あと1球』コールに変わった!
昭和63年、セ・リーグ制覇まであと1球だ!!
マウンド上・郭源治、落ち着いている!今日の郭は落ち着いている!間合いを十分とっています!マウンド付近を見て、今キャッチャー中村とサインの交換だ!
左バッターボックスに秦が入っている!
ボールカウント2ストライク1ボールから、ピッチャー郭、セットポジション第4球を投げた!空振り三振!!
試合終了!!ドラゴンズ優勝!!ドラゴンズ6年ぶり、4回目の優勝達成!!ナインがどっと集まった~!!
長く、苦しいペナントレースを戦い抜いた、歴戦の勇士達が集まった!
胴上げが始まった!星野監督、180cm・83kg。胴上げが、1回!2回!3回4回ー!!
星野監督の胴上げが行われました!お客さんがどっと繰り出します…」

演奏時間5分のうち、実況は約1分10秒。

赤→山本正之 青→久野誠 紫→二人



遠い夜空にこだまする
竜の叫びを耳にして
中日球場詰めかけた
ぼくらをジーンとしびれさす
いいぞがんばれドラゴンズ
燃えよドラゴンズ

球場名は『V2』以来となる「中日球場」の呼称となっている。



♪一番中が塁に出て
二番高木がヒットエンドラン
三番本多がタイムリー
四番西沢 ホームラン
いいぞがんばれドラゴンズ
燃えよドラゴンズ

《登場人物の簡単な説明(年齢は、存命人物は2014年での満年齢で表記)・隣は中日所属年
・中利夫 1936~(78歳) 〔'55~'72〕
守備の名手で打撃にも優れた人物だったが、優勝は経験できなかった。1978年より3年間、中日監督を務める。

・高木守道 1941~(73歳) 〔'60~'80〕
2代目"ミスタードラゴンズ"。バックトスに代表される二塁守備は職人芸。守備だけでなく、パンチ力もあり、2000本安打も達成した。1992~95年及び2012年~13年には監督を務める。

・本多逸郎 1931~2005(享年73歳) 〔'50~'65〕
2リーグになった'50年にプロ入り。西沢とともに打線の中軸を担った。
16年間の現役生活で、背番号が6度変わっていることでも有名。

・西沢道夫 1921~1977(享年56歳)〔'37~'43,'46,'49~'58〕
初代"ミスタードラゴンズ"。愛称は「ブンちゃん」。 戦前は投手として活躍し、野口二郎と延長28回を一人で投げ抜く。戦後は打者に転向し、四番打者として日本一に貢献した。
投手としてシーズン20勝・打者として40本塁打を記録するなど、二刀流選手の先駆けにして最高の選手。背番号15は永久欠番。


<3番>
♪五番江藤もホームラン
六番杉山 ホームラン
七番谷沢もホームラン
八番木俣もホームラン
いいぞがんばれドラゴンズ
燃えよドラゴンズ

・江藤慎一 1937~2008(享年70歳)〔'59~'69〕
勝利への貪欲さから「闘将」と呼ばれた。'64年から2年連続で首位打者を獲得し、王貞治の三冠王を阻止した。ロッテに移籍後の'71年にも首位打者となり 、両リーグで首位打者を獲得した初の選手となった。
弟は『初代』と『V2』に「代打男」として登場する江藤省三。

・杉山悟 1926~2009 (享年83歳)〔'48~'58〕
当時としては大柄な体格から、ついたあだ名は「デカちゃん」。
西沢と共に打線の中軸を担い、本塁打王も獲得した。

・谷沢健一 1947~(67歳)〔'70~'86〕
アキレス腱の持病を抱えながらも、日本酒マッサージで復活。
張本勲(巨人)と激しい首位打者争いに勝ったことも有名。

・木俣達彦 1944~(70歳)〔'64~'82〕
ニックネームは「野球博士」。'70年代の竜の司令塔。打撃に優れた捕手で、捕手の安打数は野村克也・古田敦也・谷繁元信に次ぐ第4位。



♪主将の服部 大エース
杉下 フォークで斬りまくり
鈴木・権藤 それ三振
男・星野が後を絶つ
いいぞがんばれドラゴンズ
燃えよドラゴンズ

・服部受弘 1920~1991(享年71歳)〔'39~41,'46~'58〕
名前の読みは「つぐひろ」。ドラゴンズの歴史を語る上では欠かせない人物。
「名古屋軍」時代からの生え抜きで、同学年の川上哲治を抑え本塁打王に輝いた。(その数はわずか8本。これは野球道具が粗悪だったことも起因している。)
背番号10は永久欠番。

・杉下茂 1925~(89歳) 〔'49~'60〕
通称「フォークボールの神様」。
'54年にはシーズン32勝を挙げリーグMVP。日本シリーズでも7試合中5試合に登板し、そのうち4試合を完投し、3勝1敗で文句なしのMVPに輝いた。
中日での211勝は山本昌に破られるまで長らく球団記録だった。
晩年に移籍したためか背番号20は永久欠番にはならなかったが、以降は権藤→星野→小松辰雄などエースナンバーとして受け継がれている。
川上哲治が亡くなり90歳に近付いた今もなお、球界の重鎮として精力的に活動中。

・鈴木孝政 1954~(60歳) 〔'73~'89〕
星野の現役時代は速球派として、引退後は技巧派として活躍。
長嶋親子と公式戦で対戦したことがある。

・権藤博 1938~(76歳)〔'61~'68〕
連投に連投を重ね「雨・雨・権藤・雨・権藤」というフレーズが生まれた。
新人での33勝は現在では破ることがほぼ不可能だ。
その太く短い現役生活は先発完投から投手分業へと球史を変えた。
'98年には横浜ベイスターズの監督に就任し、チームを38年ぶりのリーグ優勝と日本一に導いた。

・星野仙一 1947~(67歳)〔'69~'82〕
現・楽天監督。もはや説明不要の「燃える男」。
現役時代はエースナンバー20を背負い、打倒巨人を胸にチームを支えた。
監督としては中日・阪神・楽天の3球団でリーグ優勝を経験し、'13年(昨年)には巨人を倒し悲願の日本一を達成した。



♪走れ岡嶋 代打広野
どでかいアーチだ 森徹
河合・島谷 控えてる
華麗な守備の一枝も
いいぞがんばれドラゴンズ
燃えよドラゴンズ

・岡嶋博治 1935~(79歳)〔'54~'60〕
'54年の優勝に貢献した盗塁王。

・広野功 1943~(71歳)〔'66,'67,'74〕
代打逆転サヨナラ満塁ホームランを2本も放った人物。中日での在籍はわずか3年だった。

・森徹 1935~2014(享年78歳)〔'58~'61〕
早稲田大学のスラッガーとして、同学年の長嶋茂雄と鎬を削り、2年目の'59年には本塁打王となる。しかし、濃人監督と対立し、大洋へ放出された。

・河合保彦 1933~1984(享年50歳)〔'52~'58〕
'54年の優勝メンバーで外野手から捕手に転向し、杉下を支えた。

・島谷金二 1945~(69歳)〔'69~'76〕
星野・大島康徳とは同期入団。マーチン・井上・谷沢と並ぶ中軸打者として'74年の優勝に貢献。
'77年に阪急に移籍した後も、リーグ2連覇に貢献した。

・一枝修平 1940~(74歳)〔'64~'71〕
近鉄を経て阪神で引退後は、吉田義男監督の懐刀として支える。



♪近藤・杉浦 三河武士
二人井上 底力
マーシャル・マーチン・モッカ・ミラー・
デービス・ゲーリー 飛んでくる
いいぞがんばれドラゴンズ
燃えよドラゴンズ

・近藤貞雄 1925~2006(享年80歳)〔'48~'54〕
短期間だが、巨人のエースナンバー・18番を着けたことがある。
引退後は投手コーチとして「投手分業制」を提唱する。
'81年から3年間、中日の監督に就任し、翌'82年にリーグ優勝。以後は大洋・日本ハムの監督を歴任した。

・杉浦清 1914~1987(享年73歳)〔'46~'50〕
1946年に中日にプロ入り。既に32歳だった。
1年目の途中に選手兼任監督になった。
後に'63年から2年間再び中日の監督に就任する。

・井上登 1934~2012(享年77歳)〔'53~'61,'67〕
'54年の優勝メンバーで、二塁を守っていた。

・井上弘昭 1944~(70歳)〔'73~'80〕
'73年に広島から移籍。中軸打者として'74年の優勝に貢献した。
'81年に日本ハムに移籍し、ここでも優勝に貢献し、日本シリーズ第1戦ではサヨナラ打を放った。
がっしりした体格から「ポパイ」のあだ名を取った。

・ジム・マーシャル 1931~(83歳)〔'63~'65〕
真面目な性格で'65年に退団後も'81年から3年間、コーチとして中日に復帰した。

・トーマス・マーチン 1947~(67歳)〔'74~'78〕
70年代の中日を代表する助っ人。不動の4番打者として'74年の優勝に貢献した後も安定した成績を残す。
'79年に大洋に移籍した。

・ケン・モッカ 1950~(64歳)〔'82~'85〕
来日1年目から中軸に座り、同年の優勝に貢献。
真面目な性格でチームメイトからも慕われ、'85年に引退した時は選手たちから胴上げされた。
帰国後は、アスレチックスの監督を務めた。

・ジョン・ミラー 1944~(70歳)〔'70~'72〕
来日3年間すべてで20本塁打以上放ったなかなかの助っ人。

・ウィリー・デービス 1940~2010(享年69歳)〔'77〕
ニックネームは「黒豹」。しかし、37歳の高齢だったこともあり、わずか1年で帰国した。

・ゲーリー・レーシッチ 1954~(60歳)〔'86~'88〕
1年目はプルヒッターで三振が多かったが、落合博満が入団した2年目からは彼に「弟子入り」し、落合打法で成績を上げた。
応援歌は山本リンダの「狙いうち」で、現在もチャンステーマとして使用されている。



都に稲葉に空谷に
大矢根・板東・牧野・児玉
法元・柿本・野口・伊奈
まだまだ溢れる名選手
いいぞがんばれドラゴンズ
燃えよドラゴンズ

・都裕次郎 1959~(55歳)〔'77~'89〕
作品の中で最も若い人物(当時32歳)。

・稲葉光雄 1948~2012(享年63歳)〔'71~'76〕
'74年の優勝メンバー。コーチ在職中に病に倒れた。

・空谷泰 1935~(79歳)〔'54~'61〕
名は「児玉泰」。ツーシームを得意とした投手。

大矢根博臣 1935~(79歳)〔'54~'60〕
空谷と同期入団の「隔年エース」。

・板東英二 1940~(74歳)〔'59~'69〕
今やタレントとしての方が有名だが、野球選手としても活躍した。

・牧野茂 1928~1984(享年56歳)〔'52~'59〕
この人の場合は引退後の方が有名だろう。
川上巨人の名参謀で、ヘッドコーチ時代には、藤田元司監督・王貞治助監督との「トロイカ体制」で2度のリーグ優勝と'81年の日本一に貢献した。

・児玉利一 1919~2008(享年89歳)〔'51~'56〕
'51年に32歳でプロ入り。活躍は短かったが、西沢・杉山とのクリーンナップは脅威だった。

法元英明 1935~(79歳)〔'56~'68〕
主に代打で活躍した。

・柿本実 1935~(79歳)〔'61~'65〕
'60年代前半の主戦投手。

・野口明 1917~1996(享年79歳)〔'49~'56〕
西沢と共に延長28回を投げ抜いた野口二郎の兄。ポジションは捕手で河合とのダブルキャッチャーで杉下を支えた。

・伊奈努 1934~1984(享年49歳)〔'53~'60〕
'50年代後半のローテーション投手。
引退後はうどん屋を経営した。



♪栄えある歴史は名古屋軍
中部日本・中日が
西鉄倒して日本一
天知監督の胴上げだ
いいぞがんばれドラゴンズ
燃えよドラゴンズ
がんばれがんばれドラゴンズ
燃えよドラゴンズ

・天知俊一 1903~1976(享年72歳)
在任期間:'49~'51,'54,'57~'58 (計6年)
現役未経験で日本一まで上り詰めた唯一の監督。また、日本一直後に退任した唯一の監督である。


【総評】
登場する人物の半数近くは'54年のV戦士だ。
落合・立浪などは'91年当時はまだ現役だったため、ここには出てこない。
しかし、『往年の名選手編』の新作が作られるなら、ほぼ確実に出るだろう。
今年は『燃えドラ』40周年。新たな動きに注目だ。


次回「燃えよドラゴンズ! 平成FIVE