2019年2月1日(金)に第8回 防災カフェが開催されました。

ゲストは「土屋敦子さん」

 

1995年1月17日に起きた阪神淡路大震災では家族で被災し、直後に4人目の赤ちゃんを出産しました。その時の実体験がその後の震災を語り継ぐ活動や、被災地へのボランティア活動、講演会・上映会・冒険遊び場などの活動へと繋がっていきます。

 

 

土屋さんは毎年1月になると心が揺れます。被災した体験を誰かに聞いて欲しい、風化させたくないと気持ちが不安定になります。多くの被災者が、語りたい・聞いて欲しい、傾聴してくれることが癒しになると考えています。

しかし時間の経過とともに、語りたいのに語れない、自分たちの震災体験が忘れ去られてしまう、自分たちも忘れていく悲しみを被災者は抱えているのかもしれません。

 

カレンダーの裏を使った手作りの「土屋さんちの震災物語」は、息子が通う小学校の全校生徒のまえで講演した時のもの。 1995年1月17日5時46分、当時夫の仕事の関係で神戸の西区に住んでいた土屋さんは、出産予定1週間前に阪神淡路大震災に遭いました。

思ったより家の被害は少なく、夫と子供達は寝たまま、家族を起こし車のラジオから最初に聞こえてきたのは大阪の被害がひどいというニュースでした。

雪がちらつく中、犬の散歩をしている人がいることが印象に今でも残っています。すぐに気転を利かして電話で実家へ家族の無事を知らせました。おかげで両親や親せきの心配は収まったそうです。電話はその後、繋がらなくなりました。

被害の少なかったは自宅を開放し被災した同僚二人を受入れました。自宅でおにぎりを炊出したり、洗濯物やボランティアの宿泊を受け入れたりと避難所的な生活を家族とともに妊婦の状態で行いました。予定日の10日後の2月4日早朝には無事3男を出産。その後も子どもを授かり6人を育てているのは、地震で6434人が亡くなったことと神戸の子育てサークル活動が大きく影響しているようです。

 

 

2011年3月17日東日本大震災が発生すると、気仙沼や郡山、南三陸へボランティア活動に訪れます。郡山へは子ども達に被災地を見せたいとの強い思いもあって、当時小学生の娘やママ友の子ども達6人を連れていわき市へ行きました。被災地では子供たちがいなかったので驚かれ元気をもらったとお礼をいわれました。

2014年からは「チームながでん」の災害ボランティアに参加。現在も53回1300人を超えるボランティアを被災地へ送り続けています。今まで個人で活動をしてきた土屋さんですが、チームで活動する仲間との絆やボランティア仲間の2組が結婚するなど「チームながでん」には大きな魅力を感じています。

 

その他にも第一原発事故で福島県大熊町から白馬村に避難している木村紀夫さんの支援活動、震災映画の上映会、子供達の冒険あそび場活動など精力的に活動をしています。

これからは子供たちへの防災教育をライフワークにしていきたいとのこと。初めて旦那さんが編集したDVDを見て、最後に神戸の復興を願った『しあわせを運べるように』という歌を手話を交えて披露してくれました。

 

今回、神戸の被災体験を土屋さんから伺いましたが、土屋さん自身が震災を伝えていくという覚悟を垣間見た気がしました。

3.11からもうじき8年目となります。大槌の旧役場の解体なども引っかかりながらも、自分自身がどう被災地や防災活動と向き合うのか考えさせられた防災カフェとなりました。

 

(村田憲明)