大塔合戦は
1400年(応永7)9月守護の信濃支配に反発する
北信・東信の武士がひき起こした合戦。
信濃守護職の小笠原長秀に
反発感をいだくものが多く、
将軍の威光
笠に着いて尊大で横暴であった。
この振る舞いに反発して、
地元の豪族が「国人一揆」と称し国人に
呼びかけて長秀を追放しようと四宮河原で戦った。
大塔の古要害跡し、
二ツ城跡付近との説もあるが定かではない。
弘法大師参道入口、金剛院入口から行きます
石造多層塔
金剛院
赤い鳥居が見えてきます
二ツ柳神社は廃城になった城を神社にしたような感じです
鶉石
大塔の古要害跡は
大当公民館にあります
ここから山の中腹辺りに赤い鳥居がみえます。