虎御前は

鎌倉時代の建久4年、

富士の裾野で起きた

「曽我兄弟の仇討ち」で知られる曽我祐成の妻でもあります。

 

虎御前は、

本懐を遂げたが討ち死にした、

夫十郎の菩提を弔うため善光寺詣でをして後に、

この地で没しました。(一一九三年頃)

彼女の死を哀れんだ昔の八幡の人々が、

供養のために建てたのがこの虎御前の墓であります。

周囲には従者の墓が数個あります。

毎年四月十八日には虎御前の霊を慰めい

「卯の日祭り」が行われます。

 

道路沿いにある案内板より

ブドウ畑と家の間を通っていきます。

高さ約1.5メートル。径七十センチの胴と土台、

笠石からなるが、

もともとは宝珠がのる五輪塔の面影を持っている。

その大きさからかなりの権威ある者の墓か供養塔であろう。

地元には古くから虎御前の墓と伝わる。

鎌倉時代の「吾妻鏡」にでてくる。

曽我兄弟は父の仇討ち一筋の青春をおくって果てたが、

十郎なきあと仏門に入った虎御前は善光寺に参詣し、

八幡に住んだと伝えられる。

いずれも鎌倉伝説をもつ遺跡として貴重である。

 

八幡町西の信号より虎御前の墓に向かっ歩いていくと

途信号機付近に八幡追分

庚申碑

信号機より四軒目の家の角

ゴミステーションを右に曲がると

ワークハウス太陽大地の駐車場に虎御前の墓の案内板あります。

 

八幡町西信号に戻り反対側の道に行きます

 

地蔵尊(立像・座像)

庚申立像(庚申堂)

 

美容室ウィズ裏に庚申石祠