今から約四六〇年前、
甲斐の武田信玄は越後の上杉謙信と
北信濃の覇権を懸けて川中島で戦っていたころの話です。
この戦いの後、信玄がひそかに穴山信君(のちの梅雪)を呼び、
武田再興のための軍資金を埋蔵せよと命じられ
埋蔵金を埋蔵しました。
梅雪は息絶える間際に
忠臣の駒沢大和守貞季に
埋蔵金の在りかを暗号文にして伝えました。
「根守山の麓に印をしておく。そこを堀り出しそのお金で我を祀り、
川中島平らで討死した将兵たちの供養をなされよ」
というお告げのがありました。
早速掘ってみると
甲州金十両が光り輝いてできました。
そこで、その近くの大きなケヤキの元にある大きな石に、
地蔵菩薩を彫り上げ、
茅葺きのお堂を建てて、
地蔵菩薩を祀られたので、
金堀という地名を付け、
この地蔵尊を金堀菩薩と呼ぶようになりました。
車でも行けますが蓮台寺の仁王門を付近に車を置いて
歩きました。
正面に蓮台寺に向かって歩き
仁王門を過ぎてすぐ右に曲がります。
少し歩くと蓮台寺が見えます。
仁王堂遺跡
リンゴ畑と石仏
数分ほど歩くと見え行きます。