天文十七年(1548)というから、かなり昔のことである。

坂城の葛尾城主村上義清は上田原で

武田信玄の武将板垣信形と戦い、

板垣を斬って葛尾城に引き揚げることになった。

ところが葛尾城に火の手が上がっているのが見えた。

誰が火を放ったのかわからない。

武士たちが合戦に出ているすきの出来事で、

城内はさぞや混乱しているだろうと案じるけれど、

手の施しようもなく千曲川の西にとどまった。

義清の夫人は葛尾城に在って上田原の戦いの状況を

聞き安堵していたが、

突然の城内に怪しい煙が噴き出したので仰天した。

城内に敵方に寝返った者がいたのである、

しかし、主人の留守中のことゆえ、

侍女たちを率いて城を脱出し、

千曲川の渡し場に出た。

 

渡し場には葛尾城の危急を知った船頭が待機していた。

船頭はかいがいしい働きで、

夫人は侍女たちとともに千曲川を渡り、

対岸の力石へと逃れることができた。

夫人が降りるとき、

「火急のため長目(金銭)は持ち合わせていないが、

せめてこれを受け取っておくれ」と

髪から笄ほをはずして渡した。

 

 

船頭はたいそう感激し、

どうぞご無事でと祈った。

 

危急存亡の時における義清夫人の情けの深さは村々に伝えられ、

今なおここにかかる「笄の渡し」と言い伝えられている。

 

※笄とは女性の髪に挿す飾り。

金銀や水晶、めのうなど高価な材料で作られている。

 

看板がある苅屋原ミニパーク

 

 

 

 

参考書籍

信州の民話と伝説集成北信編