その1
むかし信州と上州で浅間山の出入り(取得権の訴訟)をした。
その当時軽井沢町追分の諏訪神社の神宮に大隈という者があったが、
なかなかの有能な人であったので、
江戸方面への運動に出かけたが、
なかなか決まらなかった。
(そのときの吉原で、女郎衆に寄付させて、諏訪神社の
神輿を作ったがなかなか立派なものである)
その後ある公家の
信濃路の浅間の山に立つけむり遠近人に下に住む
というお歌を扇子に書いてもらう者があって、
多くの世に広められたので、
ついに浅間山は信州のものとなつたということである。
その2
おおむかし富士山と浅間山は一夜にして出現したとき、
琵琶湖と諏訪湖ができた。
これは伊勢の国が静まります大山祇の神が、
自分の姫、磐長姫と木花咲耶姫(このはなさくやひめ)とを
住まわせるため、琵琶湖の土を盛って富士山に、
諏訪湖の土を盛って浅間山を造ったので、
それ以来今日に至るまで、
磐長姫は富士山に木花咲耶姫は浅間山におられるのだという。
信州の口碑と伝説