
8月31日、礼拝後、夏の半日修養会が行われました。今回のテーマは「教会形成としての教師招聘」。わたしたち、長町教会は来年3月末日に佐藤牧師の辞任を控えており、教師招聘はまさに緊急の課題。しかし、それが教会形成とどのように結びつくのか?
会を始めるにあたり、佐藤牧師はかつて在籍された教会の経験から話を始められました。その教会では教師招聘にあたって「(その教会に)相応しい牧師像」について語り合ったそうです。しかし、このことが、「失敗」につながってしまいました。佐藤牧師は言います。
「話が、ふさわしい教師像に集中し、主体的に教会形成に関わる姿勢でなくなった。自分たちが意識的・主体的に教会像を作らないと、先に進まない」
そこに、教会役員会が気付いたとき、教師招聘は大きな前進を見せたそうです。主が備え給う試練とダイナミックな展開を実感しました。
やがて、修養会はメソジスト教会の伝統の解説を佐藤牧師から受けた後、懇談へと進みました。長町教会のあゆみを振り返り、ともにあゆんだ一人一人の教師に思いを馳せる中で、ある参加者が言いました。「私たちは主からいつもよい教師を与えられている」別の参加者からは、「その事をもっと自覚してもよい」との発言も。教師は主が与え給うもの。そうだ。わたしたちはその教師を支えていくのだ。いつしか参加者は「どのように教師とあゆむのか?」について語り合っていました。そして、「教師とのあゆみ」というテーマは「教師との伝道」へと昇華されていったのです。「どのように教師と伝道をしていくのか?」私たちに与えられた、一見とてつもないこの課題について語り合う参加者の表情は真剣で、しかし、確かに活き活きしているように見えました。
「人間の心は自分の道を計画する。主が一歩一歩を備えてくださる」(箴言16:9)最後に感想を述べる場面、ある参加者が前週の楠本牧師の説教から引用した聖書の御言葉です。「不安」は消えないでしょう。「大変」だという状況は何も変わってはいません。長町教会が過去のあゆみの中で未だ乗り越えていない山も幾多もあるでしょう。しかし、教師とともに進む伝道の業を語るときの私たちの笑顔はなんと眩しいことでしょうか。主が道を備えて下さる。この確固たる土台の上に立てば、「不安」も「大変」も喜びにつながるに違いありません。何より今、私たちは主より託されているものを確認出来たのです。あとは祈りをもって進むしかありません。
どうか、主が私たちに教会のあゆみ、伝道の業のために祈りを与えて下さいますように。そして、その一歩の備えとして教師招聘を実りある充たされたものとして下さいますように。