うちの孫ちゃんにもそんな記憶が残ってたら
どうだったんだろ
聞いてみたかったなぁ
うちのママは
二年前の一月医療事故でなくなりました
ママの選んだクリニックは
ホームページに24時間麻酔科医在中とかかれてありました
二人目、ヘルニアがあること
産んですぐ
二歳になったばかりの長女を2ヶ所の幼稚園のプレに参加したいと考えていました
そのため体力の回復の早い無痛分娩を選択したのです
無痛分娩を個人病院で受けることの危険についてママの事故があっていろんな医療事故が明るみになりました
個人病院での無痛分娩が危険なことなど知りませんでした
ママの医療事故後に安全なお産ができるよう
提言が出されましたが
母子ともに安全なお産ができる産院を若いママさんが選ばないと
命にかかわることはまだまだ改善されないままです
ママの選んだお医者さんはほんとは
麻酔医の名義貸しだけしてもらっていて
実際にはその日に麻酔科医の手配をすることもありませんでした。
一度も無痛分娩で麻酔科医を手配したこともなかったようです
促進剤の分量もでたらめ
麻酔は院長自ら、麻酔が全身麻酔になっていることにも気づかずママの救命をいっさいせず
必要だった気管内挿管の技術もありませんでした
マスク換気の方法もありましたが
なんとそこの病院のマスク換気『風船みたいなのを手動で空気を送るものなのですが』先生握力がなくて空気を送れませんでした
先生は何にも救命をしていないので母子ともに死んでるだろうとお腹を開きました、赤ちゃんは生きていました
ニュースになると赤ちゃんは帝王切開で無事の記事となります。いかにも赤ちゃんだけは助けたみたいです
それが私の育てている孫ちゃんです
医学的になんで生きていたのか
なぜ酸素のないなか脳に障害がないのか
奇跡でしか説明のつかない事例なのだそうです
4月9日
その医者の不起訴の記事やニュースが流れました
1月10日医療事故が起こったその日
次に運ばれた堺市立総合医療センターに運ばれてママは息を吹き返しました
後でわかったのですがコウノドリのモデルの先生もスタッフ30人でママのことを待っていてくれたとか
実際には救急車が堺に走りどちらに運ばれたとしてもママの命を助けることは出来なかったのですが、堺の先生のところで息をしたことで、最初の医者のミスは明白になりました
1月20日これ以上延命をしても回復の見込みが0であること、食物状態以下であること、体に残しておいてくれたカテーテルを抜いてしまうとこの事故の証拠がなくなってしまうことなどの説明を受けました
いろんな医療事故で裁判になったとき、最初の病院で亡くなってしまったら証拠も亡く、記録もなくでは起訴まで持っていけないということもあって、司法解剖をちゃんとやってもらうことになりました
家族としては司法解剖などしたくないです
でもそれに踏み切ったのはこの医療事故はママが助かった事例だったからなのです
これだけ証拠の揃い、日本を代表する専門医意見書もあるなか、町医者レベルで救命できたが証明できないと酸素記録があるのてすがひとつの数字が誤差動だと証明できないからと不起訴になりました
事故からの二年間は不起訴にする材料探しの二年間だった気さえします
医者が起訴されるというところに来ると、担当の検事さんが転属させられるのです
これだけ揃った案件が起訴されないと、もう日本のどこでママの後に医療事故に会われた方がいても、どのもケースも不起訴になってしまうと思います
そんな医者を選んだ側が悪い、どんな医者も一度免許を取ればどんなにマンパワーがなくても守られる日本の医療
どうか若いママや赤ちゃんが危険にさらされないようにと願います
しあわせなママとの時間を持てなかった孫ちゃん
お空で素敵なママとパパを選んだのにね
私たち家族は小さなしあわせに感謝しながら誠実に生きてきました
そんな幸せな家族が
一人の医者によってママの命とこれから続いていたであろうしあわせな時間を突然もぎ取られてしまいました
神様と約束してこの地おりたママは
31才でお空に帰ったのですが
これも並んで選んだ運命だったのでしょうか?
娘さんを持っている方
これから赤ちゃんを産む人
どうか賢い選択をしてください