それからの僕ときたら中学校の入学祝にじっちゃんから買ってもらったCDラジカセは、ブンブンブンフル回転だ。

中学生でCDを買うお金がない僕は、ラジオをききまくりだったね。
お目当ては、もちろんハウンド・ドッグだね。

カモーン
僕の部屋まで届けておくれよ。
レッツミュージック!!
ダンスDanceダンス

FMは聞きまくるは、邦楽のよく流れるAMは、聞ききまくるわで無差別状態だったね。
ハウンド・ドッグが目的だったけどこのころから色んな音楽を聞くようになったと思う。

オールナイトニッポンを聞き始めたのもこのころだった。
ビートたけしのオールナイトニッポンは、とにかくデラ ベッピンだったね。

校内でもみんなさん音楽を聞くようになってきた。
ちょうどレコードからシィーディー全盛期突入だった。
やはり人間。人数集まれば派閥が出来たりするもんだ。
兄貴がいるおませさん達は、BOOWY
ヤンキーのみなさまは、こぞって X エックス でありました。

僕は、もちろんあたりきしゃきしゃきでハウンド・ドック派でございます。

ハウンド・ドッグときましたら。
『AMBITIOUS』
『ONLY LOVE』

などなどヒット曲を連続でおだしになられました。
ベストテンなどにもおでになられて大変人気者になられていかれました。





私達の田舎町でもハウンド・ドッグは、一気に大人気者になっていかれました。
図工の時間になればそれぞれの派閥の皆様は、こぞって彫刻刀でお気に入りのアーティストのお名前を机などに掘りまくるのでした。

エックス派のヤンキーの皆様は、X と机等々にほられました。
『X』だけの文字だけだとなんだかかわいそうになんとなくおまぬけでありました。X X X X

例外なく僕と哲也の机にもHOUND DOG最高 大友康平 最高と深々とほりこまれていた。
もちろんペッチャンコの通学カバンにもそれぞれの派閥のアーティストのお名前がいたるところに刻みこまれておりました。

僕は、HOUND DOGのステッカーの横に、僕オリジナルドッグステッカー。ドッグのヒット曲ff(フォルテシモ)のffステッカーを張っておりました。
ffステッカーだよ。

『ff』

だよ。
かっこわりぃぃぃぃ
ありぇねぇー!!
そんなこんなでおバカに平和に過ごして冬になりハウンド・ドックの名盤『GOLD』が1988年一月十一日に発売になる。

もちろんペッチャンコのかばんには『GOLD』のステッカーを貼るのである。


ハウンドドッグの風が日本中を駆け巡る事になるのである。