じいじのお通夜でした。
喪服に袖を通す時
「ああ、できればこれ、着たくなかったな。」
と思った。
娘が更に小さい時に書いたじいじの顔
だけど
それが不思議でさ
実の父の時は悲しみに飲み込まれていたんだけど、
そこから色々知ってからのお通夜は全然ちがって
ただただ感謝ばかりがあふれてきた。
もう全部感謝だよね。
じいじに対する感謝。
もちろん、もう動くじいじに会えない寂しさはあって
抜け殻になったじいじの体を見ると涙が止まらないんだけど
同時に、
今までとは比べ物にならないくらいの広い視野とあたたかくて穏やかな気持ちのじいじが、にこにこしながらこちらに残っている家族を見守っているのを感じるんだよ。
何言ってんのかわかんないかもだけど(笑)
(実父の時は1つの視点からしか見ていなかったから全くそんなことなくて
悲しみ、怒り、寂しさ、大好きだったんだって気づいた、悲しい、怒り って感じだった。)
遊ぶ約束していて急遽バラシになった幼稚園の友達のママが「少しでもほっと出来る瞬間がありますように」と送ってくれたアイス。
そうそう!
「飲まなきゃやってられないよ」って言う人の気持ちがわかった。
ここ数日、ストレスでわたしは「食べなきゃやってられないよ。」だった(笑)
お通夜を迎えるのが怖かった。
むすめに大きなショックを与えてしまうのではと怖かった。
むすめがどうだったかは、改めて、書くかもしれないし、書かないかもしれません。
ただ、本当のことをできるだけショックが少ない形で上手に伝えることができたと思う。
昨日、じいじの体と対面した時、
「そっか。もうこの中にいないんだな。」と思った。急に実感した。涙が溢れた。
「寂しいよぉ!お父さん!」
泣きたいだけ泣いた。
この感情、よくわかんない。私はなんでこんなに泣いているんだろう?と思った。
魂になったじいじに話しかけたら、
今までしてもらったありがとうが溢れた。
次から次から止まらなかった。
驚くほどに「ありがとう」だった。
その内、「私はあなたに取って良い娘だった?」と思った。
してもらうばかりで、身の回りのこと等、ほとんどしてあげられなかったけど、
わかっていた。
私が来たことをきっかけに、じいじが笑顔になったこと。
きっと私はこの出会いで、じいじに溢れる幸せと愛を渡すことが出来たのだろう。
明日はお葬式。
じいじだった体とお別れです。