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2018年11月27日は、曻地三郎博士の5年忌です。
皆様からのお便り:思い出やメッセージなどをお寄せください。お待ちしています
  メール: shiinomi100@yahoo.co.jp
FAX :  092-722-0922
住所 : 〒811-1302 
福岡市南区井尻1-40-6 フェニックス三郎記念館
  フェニックス三郎記念(旧居)にも是非お出かけ、お立ち寄りください。
     記念館は、西鉄大牟田線・井尻駅下車 東隣り(前が、しいのみ学園です)
   西鉄福岡駅・JR博多駅・福岡空港から車で20分、お迎えに上がります。
   お車の方は、福岡都市高速・板付インターを降りて5分。駐車場有
  ★フェニックス三郎記念館・奉加帳 について 
どうぞ古賀毅敏(080-6403-5659)にご一報ください

フェニックス三郎記念館News㉒と月齢カレンダー旧暦10月をお届けします。

紅葉の候、ますます御健勝のこととお慶び申し上げます。平素は格別のお引き立てを賜り、ありがたく厚く御礼申し上げます。

曻地三郎博士が、月世界に旅立ってから、今月11月27日で早くも5年になります。
月に滞在してから5年の歳月が流れた事になります。
この間、世の中は、色々な出来事がニュースを席巻しました。2020年五輪・東京開催決定、熊本地震、福岡出身大隈さんがノーベル賞受賞、日馬富士暴行引退・・などなど
皆様ご自身の、嬉しい事、悲しい事・・5大トピックスは如何でしょうか?

さて、山本三郎は、19歳で原田村尋常高等小学校の訓導(教師)として赴任しました。
受け持ったのは、6年生。生徒との年の差はわずかに7年でした。
 山本三郎は、子どもたちの教育には自信がありました。しかし、何分、優等生の殻を破り、将来は文部大臣をめざして勉強しましたから、赴任地が山の中の小さな小学校に決まった時にはさすがにショックでした。また、実際に赴任してからしばらくは、失意というより淋しい日々を送りました。
 新任教師・山本は、赴任に当たり3000枚の原稿用紙を買いました。広島師範学校時代から投稿していた子供向けの雑誌(少国民・日本の少年・少女号)などに引き続き小説や詩歌を綴り、投稿するためでした。山本は、原田小学校には2年間しか勤務しませんでしたが、その間に読んだ自筆の詩を、昭和4年7月2日を最終に、一冊の本・詩集として製本しました。
 107歳まで現役教育者を貫いた山本の黎明期の証です。数回に分けてご紹介いたします。

           フェニックス三郎記念館
             しいのみ学園創立者・曻地三郎博士 元秘書 古賀毅敏