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長崎講演では、原爆稲のお話を致しました。私は、7年前から、自宅の庭で、昭和20年8月に被爆した稲の子孫を植え続けています。

20年10月に文部省が編成し原爆被害調査団の一員として参加した九州大学農学部育種学教室の研究者が、長崎・浦上天主堂下の水田で採取したものです。爆心地から1キロも離れていない場所ですから、水田の稲は高熱と強烈な放射線の影響で死滅したはずです。しかし、地中で生き残った根から新しい芽が育ち、10月には僅かばかりの稲穂をつけていたのです。

 九大の調査団が、翌年この稲籾を植えたところ、放射線の障害で様々な奇形稲が発見されたのです。

 奇形稲の中に、稲穂の半分が空籾・半分が充実した殻になる品種がありました。
 この奇形稲の充実した籾(実)を植えると、何代たっても同じ現象が続きます。

原爆の放射線で染色体が傷ついているからです。
つまり、原爆稲は、原爆の恐ろしさを伝える「生きた証言者」なのです。

 私は、広島で4つの学校(西条・寺西小学校、広島師範学校、広島高等師範学校、広島文理科大学)を卒業しましたから、沢山の同級生・友人や親族が広島の原爆で犠牲になりました。

核兵器廃絶を叫ぶのは、私の使命です。こうしたことを長崎の講演会では特別にお話し致しました。