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「軍人にはなれん、仕方がない、子どもと一生暮すか」と父親に説得されて広島師範学校に入学したのは、・・大正時代末期、今から85年も前の事です。
 以来、広島高等師範、広島文理科大学、1年勤務した岩国高等女学校時代のおよそ20年間は、色々な縁で宮島を訪れました。師範学校の遠泳授業では、折り返し地点が宮島の鳥居でした。潮の流れや干満を配慮して日程が組まれ、広島から泳ぎだし、鳥居をくぐって引き返す3里半(15キロ)を泳ぎ終えると、水泳帽子に三本線が貰えました。
 宮島は、今や世界遺産に登録されて外国人にも関心が高い日本を代表する観光地です。老若男女、男女・年齢を問わず観光客で賑わっていますが、昔は、どちらかといえば「男の歓楽街」が同居していて、新婚旅行はご法度の島でした。呉に入港した外国の水兵さんを宮島に案内する仕事(アルバイト)が、高等師範学校の英語が得意な学生に声がかかっていた事・・を知るのは、今や私一人ではないでしょうか。