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 朝10時半、突然・・オリンピックおじさんが、我が家の門に現れました。2年前、私に2升5合のお酒「2升半の訳は、枡・枡・半升(益々繁盛)」を届けてくださった、東京の上野實さんに同伴されての訪問だが、上野さんからは、山田直稔さんのことは一言も聞いていなかった。
 しかし、玄関でお迎えした時、私は、「黄金色の山高帽の紳士」が、例の「オリンピックおじさん」であることを直ぐに見抜いた。何度もテレビで見ているからである。面白い・・愉快なおじさんもいるものだ・・と常々、気には留めてきたが、まさか我が家に現れるとは、大変な驚きだった。が、山田さんの方も、私の姿を見て、「アー・・」と言ったまま、開いた口が塞がらないらしい。それほど、私の元気な笑顔に感動・・の様子であった。
 今日の訪問は、来年3月6日東京・九段会館での講演の打ち合わせが、主な目的だったが、山田さんは、上野さんから私の事を色々と聞いておられて、座敷で挨拶するのもそこそこに「お元気の秘密を教えてください・・」と単刀直入に話を切り出された。山田さんの気迫に押されて、先ずは棒体操の指南をすることになった。これまで、沢山の方に棒体操をご披露したが、今日ほど楽しく、しかも教え甲斐のある生徒さんはいなかった。
 棒体操や一口30回噛むことが、元気の秘密であることを納得された、山田さんは、今度は、ご自分の出番だとばかりに、40年にわたるオリンピック応援談義が、豪快な笑いの中で矢継ぎ早に続き、止まることをしらない。続いて、長島監督がアテネで着るはずだった・・と藤子不二雄さんのイラストを背番号にしたユニホームを着てのアピールも説得力がある。
 少し時間を下さい・・と次の間に姿を隠されて、10分ほど経過。山田さんが、オリンピックでの応援団長の正装「羽織・袴」姿で現れたのには、2度びっくり。何処にでかけるにも、スーツケースには、正装一式が収められている。人々と交流を最高に高めるための準備を怠らない、用意周到なお人柄である。一同記念撮影に及んだ。
 東京・九段会館での講演を企画していただいた上野さんは、日本一元気な私への贈り物に・・と「日本一の名山・富士山」の作品410点が収められた豪華本をご持参いただいた。2升5合の酒瓶・と言い、今回の富士の豪華本と言い、心憎いばかりのお気遣いに、上野さんにも敬服である。
 お二人は、日本国笑裁(山田さん)と福笑裁(上野さん)である。総裁の向こうを張って「笑裁」を自称。しかし、40年間に渡り国家的行事であるオリンピックを手弁当で応援と国際交流に務めてこられた山田さんは、歴代の総理・総裁も侮りがたく、親交が深い様子を詳しく伺い、納得することばかりである。
 韓国青年が、「山手線に転落した人を救ったが、本人は死去した」・・例のニュースを聞いて直ぐさま、大輪の花輪を届け、通夜に駆けつけた。その後、「事の顛末と日本人が為すべき道理」を総理に進言。翌日には、国を挙げて、総理大臣自ら会葬に及ぶことになった。更には、4億円余の弔慰金が集まる糸口も山田さんが作られたと伺った。山田さんの笑いの奥にある「心根のやさしさ」に感動するばかりであった。
 最後に、色紙の所望があり、山田さんには「先ず笑顔」上野さんには「笑う門には福来る」と認めた。
 お二人は、長崎県鷹島のモンゴル村訪問の予定があり、唐津まで車でお送りした。ここで図らずも「唐津くんち」最終日の「曳山の町巡り」に行き当たった。お二人は、大の祭り好き、2時間も立ち通しで、例の日の丸扇子を翻しながら高らかに声援。「アレ・日の丸おじさんがいる」と声をかけられ、記念撮影も。今日は、「笑う門には福来る」の楽しい一日であった。「先ずは笑顔」お互いに同じ境涯を実感する一日でもあった。