『人生』いかほど(242)
★巨星:小澤征爾氏への追悼
少し日本の歴史が見えてくる。少し遡って
満州事変・満州国の時代、彼の父親は満州で日本軍の行動に関心を持っていたようである。
軍の中心人物に石原莞爾と板垣征四郎がいた。この両人の名前の一字ずつをとって、征爾と名付けた。幸いなことに敗戦前に日本へ帰国している。そのような運命をたどった人間には作家の安部公房・哲学者の木田元がいる。幼少期を広い満州で暮らしてきた彼らは島国日本に帰って感じたことが共通している。満州という故郷が消滅し、狭苦しい日本に住むことがいやだったと公房は記している。即ち居心地がすこぶる悪かったわけである。その気持ちが世界へ羽ばたたせた一因になっている。
◆魏に派遣されなかった。
問題の箇所はこの部分である。
”塞曹掾史(さいそうえんし)張政等を遣わし(だれが?どこへ?)因って詔書・黄憧をもたらし(どこから?)難升米(~どこにいた?)に拝仮せしめ、檄を作りて(どこで)これを告諭す。”
▲卑弥呼の使者が危急を告げる為にやって来たとき、当然帯方郡のもとには倭に与えるべき魏王の詔書・黄憧はなかった。
○だから太守が張政らを(倭国でなく)魏の都洛陽に派遣し因って魏王から受け取った詔書・黄持ちを張政らは帯方郡へ持ち帰ったのである。