No. 41

 

平成31年2月6日(水) 雨

 

 

 

 

 

 

「ありがとう、みなさん」

 

 

 

1980年に出版され

 

ベストセラーになった本の元のタイトルです。

 

何の本かわかりますか?(^^)

 

 

 

 

 

正解は ・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「飛鳥へ、そして まだ見ぬ子へ」

 

 

若き医師が死の直前まで綴った愛の手記

 

 

井村和清 著

 

 

 

不治の病に冒された青年医師が、

 

最後まで生きる勇気と優しさを失わず、

 

わが子と妻、両親たちに向けて綴った感動の遺稿集。

 

 

 

映画化やテレビドラマ化もされましたので 

 

ご存知の方も多いのではないでしょうか?

 

 

本当にすごい言葉がたくさん出てきます。

 

 

要約して間違って伝わってほしくないので

 

まだお読みで無い方は

 

是非とも読んで欲しいですね。

 

 

 

まず冒頭の言葉から

 

 

 

ふたりの子供たちへ

 

 

心の優しい、思いやりのある子に育ちますように。

 

悲しいことに、私はおまえたちが大きくなるまで待っていられない。

 

 

(中略)

 

 

もうあとどれだけも、私はおまえたちの傍にいてやれない。

 

こんな小さなおまえたちを残していかねばならぬのかと思うと

 

胸が砕けそうだ。

 

 

いいかい。

 

心の優しい、思いやりのある子に育ちなさい。

 

そして、お母さんを大切にしてあげなさい。

 

おまえたちを育てるために、

 

お母さんはどんな苦労も厭わなかった。

 

 

(中略)

 

 

思いやりのある子とは、

 

まわりの人が悲しんでいれば共に悲しみ、

 

よろこんでいる人がいれば、

 

その人のために一緒によろこべる人のことだ。

 

 

思いやりのある子は、

 

まわりの人を幸せにする。

 

 

まわりの人を幸せにする人は、

 

まわりの人々によって、

 

もっともっと幸せにされる、

 

世界で一番幸せな人だ。

 

 

だから、

 

 

心の優しい、

 

思いやりのある子に育って欲しい。

 

 

それが私の祈りだ。

 

 

さようなら。

 

私はもう、いくらもおまえたちの傍にいてやれない。

 

 

おまえたちが倒れても、

 

手を貸してやることもできない。

 

 

だから、倒れても倒れても自分の力で起きあがりなさい。

 

 

さようなら。

 

 

おまえたちがいつまでも、

 

いつまでも幸せでありますように。

 

 

 

そして続けて

 

「あとがき」を書いています。

 

少し長くなりますがそのまま載せます。

 

 

 

 

あとがき

 

 

原稿をまだ半分も書き終わっていないのに、

 

私は〈あとがき〉を書き始めています。

 

それには訳があります。

 

 

一週間まえ、

 

私は呼吸するたびに左側胸部に痛みを感じていました。

 

日一日と心臓が左から右へ圧迫されていくのが分かります。

 

胸水の貯留が始まったのです。

 

もう猶予できません。

 

 

ここまでくれば、

 

いつ机に向かうことができなくなるかもしれないからです。

 

 

頭と尾があれぱ、

 

胴は少々短くても魚は魚です。

 

 

しかし尾がなければ、

 

それは魚ではない。

 

 

そこで私は、

 

とにかく〈あとがき〉という尾を書くことにしたのです。

 

 

頼みがあります。

 

もし私が死にましたら、

 

残るふたりの子供たちを、

 

どうかよろしくお願い致します。

 

 

私が自分の命の限界を知ったとき、

 

私にはまだ飛鳥ひとりしか子供はありませんでした。

 

そのとき、私はなんとしても、

 

もうひとり子供が欲しいと思ったのです。

 

 

それは希望というよりは、むしろ祈りのようなものでした。

 

 

私はそれまでに大量の抗癌剤の投与を受けていたので、

 

もう子供はできないかもしれないと思っていました。

 

 

しかし、祈りは通じ、

 

ふたりめの子供が妻の胎内に宿ったのです。

 

 

妻はこれはあなたの執念の子ね、

 

と言って笑っていましたが、

 

私はどうしても、

 

妻と飛鳥を、

 

母ひとり子ひとりにしたくなかったのです。

 

 

三人が力を合わせれば、

 

たとえ私がいなくても、

 

生きぬいてゆける。

 

 

妻が艱難に出逢うことがあっても、

 

子供たちふたりが心を合わせれば、

 

細い体の妻をきっと助けてくれる。

 

そう信じています。

 

 

この子供たちがやがて大きくなり、

 

人の心が分かる年頃になったなら、

 

私の生まれ育った北陸を訪ね、

 

その山河を見せてやってほしいと思います。

 

 

自分たちの体に流れている父の血の郷里を感じてほしいのです。

 

そして私のことを教えてやってほしい。

 

 

父を知らない淋しい子にならないでほしいのです。

 

父がいなくても誇りをもって生きてほしいと祈ります。

 

 

もうひとつ、頼みがあります。

 

 

私の死で、

 

誰よりも悲しみ誰よりも泣いている父母を、

 

どうか慰めてやって下さい。

 

私には勿体ない、

 

仏さまのような父母なのです。

 

 

父は自分のすべてを捨てても私を救おうとしてくれましたし

 

母は実母ではないのに、

 

血の通いあう肉親以上の深い愛情で私を抱きしめてくれていました。

 

 

今はもう、

 

私はこのやさしい父母に、

 

何の孝行もできません。

 

 

それよりも、

 

親にわが子の葬式をあげさせる、

 

こんな残酷なことはありません。

 

悲しくてたまりません。

 

 

今から老いていくこの父母を、

 

どうぞよろしくお願い致します。

 

 

魂が永劫であることを信じていたいと思います。

 

 

人の魂が永劫なものであるならば、

 

いつかもう一度、父母の腕に、

 

抱かれる日も来ようかと思います。

 

 

もし人に生まれかわりがあり、

 

私にその機会が与えられるなら、

 

たとえ再び三十年余の短い人生であるにせよ、

 

この父母のもとに子として生まれてきたいと思います。

 

 

どうか、

 

淋しがり屋で心優しい父母を、

 

よろしくお願い致します。

 

 

(後略)

 

 

まだまだご紹介したいところがたくさんありますので

 

続きは次回に!(^^)

 

 

いつも長原整骨院のブログをご覧いただきまして

 

ありがとうございます。m(__)m