■秋葉原惨劇5年…核心分からず、事件風化の不安
(読売新聞 - 06月08日 19:09)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20130608-OYT1T00754.htm
当時出勤直後に凶行が起きました。
朝礼中に突然響き渡る自動車のブレーキ音。
そして繰り広げられた惨劇。
丁度午後番で入店し店内に居たお陰で偶々助かり、そして偶々休憩に入った何名かは命を失ってしまいました。
凶行を起こした男の行動原因を知った時不謹慎にも気持ちは理解出来ました。
丁度2ちゃんねるで叩かれた直後だったのでその泡立つ怒りはよくわかりました。
あれは叩かれてみないと理解できない、今まで味わったことの無い何とも言えない怒りです。
良く「気にするな」と言われましたが、当時の自分はその言葉に「叩かれたこと無いからわからないだろうけど」と言う気持ちでした。それが励ましの言葉だと解っていても抑えられませんでした。
しかしそれとこれとはまた違います。
確かに「思い知らせたやりたかった」という発言もよくわかりますが、多分叩いた奴らは反省しないでしょうし、なによりもそれはもう考えた瞬間に間違った行為だと判る愚行です。
しかし、これまた不謹慎ながらそんな「愚行」と彼の社会的な立場そしてネット上での不特定多数からの誹謗中傷の最中の心境では弁えられなかったのでしょう。でもダメな事はダメな事です。
そしてこの事件は結果彼の思い通りには成りませんでした。
相変わらず、匿名性を保ち人を誹謗出来る手段を手に入れた一部の日本人は、今もせっせと犠牲者を検索し正義の名を借りたストレス解消を行なっています。大した罪悪感も感じずに。
むしろバレなきゃナニをやっても良い、法律に触れなければナニをやっても良い、という風潮に拍車が掛かっているように思います。そして自分もともすればそう考える事もありますからそれは仕方ないことですが、それにしてもひどい状態です。
しかしこれが「ネットの現実」だという事ならば、それを弁え振る舞う必要があるんでしょう。
結局、そんな「雰囲気」に踊らされるという状況を、ここ10年でより強まった気がします。
そんな風潮だから、今の子供たちはそんな雰囲気にランク付けをして、日々戦々恐々としながら過ごす、なんて今やっているドラマみたいな事ほどじゃ無いにしろ起きているのかな、なんて考えます。
そんな見えない何かに刃を突き立てたかったと犯人に対しては同情しますが、でもそれにより全く関係ない人間が命を落とし残された人に悲しみを与えて良いのかと言えば、それは違う訳です。しかしながら気持ちがわかる分何か哀れみと鎮魂の礼が並走する心境となります。
そんな事を毎年この時期になると思い巡らせます。