2007.3.12
ども!
ミスター・ヘンタイこと長門の男だすよ。
とちょっとおちゃらけたけど若干真面目な話。
あなたは昨日の朝(一昨日の夜)の『スフィアのオールナイトニッポンR』聴いたかな。
その中で4時半以降の「あかつきダイアリー」を聴いた方は思い出しながら読んでほしいんだけどね。
俺もその放送を聴きながら仕事をしていたわけだ。
そんで、はるちゃんとみなちゃんの話には特に共感を覚えたところがあって今回書いてみることにする。
スフィアのメンバーはご存知の通り、あやひー以外は東京近郊以外の出身でちょっとやそっとじゃ帰られない距離。
で、はるちゃんとみなちゃんは各々の地域から新幹線で上京したらしいのね。
それを聴きながら思い出したんだけど。
で、本題は表題の日付。
今でも忘れない。
2007年3月12日午前11時26分新山口発の「のぞみ」。
これは僕が上京するときに乗った新幹線。
この日は朝からなんとも言えないセンチメンタルな気分。
あれは朝の7時過ぎだったかな。
実はこっそり起きていたんだね。目が覚めていたというか。
「いってきます」
と弟の声。
もうこの声聴くだけで泣きそうになった。
あの生意気で泣き虫な弟。
喧嘩なんて数知れず。
でも大事な家族の一員の弟。
毎日聴いていたあいつの声がもう聴けなくなるのかな。
そんなこと考えていたら目頭熱くなってね。
そのあと起きて、朝ご飯食べて鞄もって父親の車に乗った。
長門市から新山口駅までどんくらいかかったかな。
いつもなら最短ルートで行きたがるのに、そのときだけは若干遠回りだったんだよ。
親父はあまり「寂しい」とか口にはしなかったんだけど、
親父とおふくろと僕。
BGMは地元のFMラジオ。
3人ではもう味わえないであろうこの車内空間を少しでも長く取りたかったんだろうな。
新山口駅に着くまでの間。
見慣れた景色を頭のフィルムに焼き付けるように車窓から外を眺めたんだ。
いつも走っていた国道191号線の道路。
深川湾・只の浜の海。
峠の山のあざやかな緑。
それまでにいくつかの市町村を通過する。
それぞれの看板。
時間とともに1つ街を越える毎に別離れへのカウントダウンが進んで・・・。
新幹線発車のおおよそ1時間前に到着。
駅弁買ったりなんだったりでちょっと慌ただしかったけど、最後の3人の行動はどこか自分が大人な気分になったようで。
新幹線のホームにたたずんで「のぞみ」の到着を待つ。
その間も会話はつづけたんだよ。
目を見て話すことがもうほとんどできなくなるの嫌で嫌でたまらんかった。
そして―――――――。
新山口駅に到着した「のぞみ」。
定刻通り、東へ向かって滑り出した。
そのとき窓の外を見ながら手を振ったんだけど、母が泣いている姿を見た。
家ではほとんど涙を見せたことがない母。
母が涙を見せるときはよほど一大事なことがあったんだろうな、と子供心に感じた。
母の母(僕から言うとばあちゃん)が亡くなった時でさえ、涙を堪えながらないている僕を励ましてくれていたあの母が・・・。
それを見ていたら僕も涙が止まらなくなって、次の駅くらいまで嗚咽を堪える状態だったな。
東京に着くまでおよそ4時間半。
いろいろ頭の中を走馬灯のように思い出が通り過ぎる。
保育所時代から12年付き合ってきた友達。
高校に行って3年一緒だった高校の友人。
いじめにあったり辛いこともあったけど、それでも毎日のように会い続けた。
励ましあったり、からかいあったりして過ごしたけど、もう会えない人も出るのかな・・・とか思ったり。
はるちゃんも言っていたんだけど、「言葉にできない複雑な感情」がすごいこみ上げてくるんだよ。
上京するという高揚感、大都会・東京でうまくやっていけるだろうかという不安、親・友達・恩師・地元の人…もう会えないのかなという寂しさが入り混じっている何とも言えない気分。
そして着いた大都会・東京。
高校や大学を抜けて上京する人は、間違いなく第二の故郷が東京になるわけで。
人の流れも速いし眠らない街。
毎日がワクワクと不安の背中合わせだった。
あれから6年が経ち、東京生活も7年目に入った。
あのときに比べたら、僕はどれだけ成長できたんだろう。
まだまだ大人にはなりきれないけどさ。
ゆっくりでもいいから成長していけたらいいのかもね。
そして、ラジオパーソナリティになるという夢を絶対かなえてやる。
他の人に負けてられんもん。
絶対叶えちゃるんじゃけ!
3月12日になると思い出すことです。
こんなに自分のことをさらけ出したブログも初めてかもしれんけど、ちょっと番組聴いていて思ったことなんでね。
書いてみました。
長々と読んでくれてありがとう!
【書いているときのBGM】
♪明日への帰り道/スフィア
♪Joyful×Joyful/スフィア
♪サヨナラ SEE YOU/スフィア