【探求】平家、琉球、宮古島、先祖 | 平(たいらの)順二のブログ

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人生にベストを尽くすための近道探し

殿内とぅんち)】

-琉球士族

-領地を有する


筑登之家(筑登之筋目)】

-領地を有しない

-筑登之家の者は、子 → 筑登之 → 筑登之親雲上 → 親雲上と出世していく


筑登之親雲上ちくどぅんぺーちん

-琉球王国の位階および称号

-位階は従七品で

-領地は有しない

-下級士族

-筑登之親雲上は専ら筑登之家の者が昇進した


親雲上ペークーミー)】

-地頭職で領地を有する

-筑登之家の者がここまで出世するのはまれであり、大抵は筑登之親雲上にとどまった。筑登之家は琉球士族の大半を占め、ほとんどは無禄士族


探求:

1597年、

長真氏(ちょうしんうじ)

旨屋(しおく)という

宮古島で役人をしていた人が、

サツマイモ(甘藷)を持ち帰り、

宮古に広めました。


1632年に昇進して、

宮古島の役人の頭である、

砂川親雲上旨屋と呼ばれました。 


旨屋の死後、宮古島の人たちは

「イモの神様」とも呼ぶようになり「イモの主御嶽」に祀られた。


【砂川親雲上旨屋

・・・

旨屋四代喜佐場尓也・旨楽/ 1687-

-妻:白川氏武富筑登之恵忠女松

・・・

狩俣仁也・旨根/1875-




備考:私の母方の先祖

下里旨昌/-1917

兄:下里旨久/1902-

弟:下里旨根/1904-


備考:








連想:

1139-、源為朝

1158-平資盛

1185-、壇ノ浦の戦い


-1250?、平盛綱

1241-、平頼綱

平頼綱の弟長崎光盛


1251-、北条時宗:第8代執権

1251-、島津忠宗:第4代当主

島津忠宗:元寇時、九州にて活躍

忠宗の三男:島津佐多忠光

大隅国大隅郡佐多村

佐多氏桓武平氏資盛流


1274、文永の役

1281、弘安の役


佐多大人が率いる倭寇の混成軍

平家

平良

宮古島

与那覇原軍

与那覇原村

下地

与那覇湾

与那覇原軍残党の子弟

真佐久:父母不詳

狩俣

百佐盛

四真佐利四島ぬ主

4村:池間、狩俣、島尻、大神

西原

宮原

久志

山川

白川浜、中山朝貢、白川氏

白川氏3世:大立大殿

大立大殿:仲宗根豊見親を育てた

忠導氏

根間大按司

目黒盛豊見親

空広(猶子)仲宗根豊見親玄雅

てかねまる

土川:大和井

仲宗根村

保里天太、保里城

次男:居士佐加利

妻:嘉播親の次女=ミガツキ

真徳金西銘按司の婿

西銘城西銘御嶽

飛鳥主飛鳥御嶽:東仲宗根増原

長間

与那浜崎

平瀬尾神崎




【宮古二大系統】

-白川氏

-忠導氏