忘れてはいけない3月11日。
忘れられない3月11日。
双子の長男次男を出産して両家相談のもと
県外の実家に帰ることに。
出産前、管理入院で3ヶ月入院していたので
その間長女はずっと県外の私の実家に預かってもらっていました。
今、住んでいるところは幼稚園しかなく
保育所も色々条件があって、なかなか
入れなかったのです。実家の方は里帰りという期間でも、長女を預かってくれるとのことでした
そして、家に帰る日が近づいたあの日
長女は保育所、双子君達はお昼寝中
私達はコーヒーを飲みながらTVを見ていました
そして、地震速報が流れてきて。
はじめは大地震のわりに被害がなくて良かったなぁと話していたのに、あの大津波。
TVで見る光景に、これは現実なのだろうかと
身体が震えました。
遠く離れた実家にも、大津波警報!!
長女の通っていた保育所が今からすぐ
バス🚌で送るので迎えに来て下さいと
連絡があり、それから間もなくの
空襲警報みたいなサイレンが鳴り響き。
その時は、まだ明るかったので
慌てず避難できました。
一旦警報もなくなり、家に帰り食事も済ませ、
お風呂にも入り皆が疲れて寝出した夜中に
また空襲警報のようなあのサイレンが💦
私は嫌な予感がしてずっと起きていたけど
両親は疲れて爆睡してなかなか起きない😖
大きい声で叫びながら叩き起こし「津波がくる!津波がくる!早くにげなあかん!」その言葉に飛び起きた両親!!
私の実家の前は海で後は山。
南海大地震がくると5分で30メートル以上の津波がやってくると言われています。
怖くて震える私に実母は
大事な子供を預かって、ここまで大きくして
やっと向こうの家に帰せると思ったのに何で今!
「もし津波がきて万が一のことがあっても
子供達と離れることのないように」と強く抱っこ紐で結んでくれました。
長女もおんぶ紐でキツく結び、
「何があっても離れたらあかんよ!!」と
言いながら避難することに。
避難しようとしたら近所の方がきて
まだ人ごとなのか、「えー!あんたらにげるん?大丈夫やろ!?」とケラケラ笑いながら。
でも他の近所の人も慌てて逃げ出し
その方も顔色が変わって避難しだしました。
避難する時、車で避難するのは
良くないことは理解しています。
でも生後5ヶ月の双子と3歳の長女を
抱えては海の前を走って避難することは
無理でした。
車で避難しようとしている時もパニックになり
子供達は大泣きで😖
津波がきたら皆で車ごと流されてしまう。
でも、車で逃げるしかどうしようもなかった😖
丘の上まで車で上がるまで震えが止まりませんでした。いや、やっと丘の上に避難してもずっと震えていました😖
地域の人は小学校の体育館に避難したけど
まだその時期は寒かったし、
双子君の泣き声も凄いので
避難解除になるまで車で過ごしました。
あの日私達の町には津波の被害はほぼありませんでした。でも被災された方、亡くなられた方のことをおもうと胸が締めつけられるおもいになります。
東日本大震災で亡くなられたかたの
ご冥福をお祈りします。
そして1日も早い復帰復興をお祈りしています。