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novels by naecha

「明治東亰恋伽」の小説を書いています
初心者ですが、温かい目で見てください


 とん、とん、と一定のリズムで自分のこめかみをつついていた鏡花は、大きなため息をつくと筆を置いた。半刻前から原稿は一行どころか一文字たりとも進んでいない
 お気に入りのお香を焚いていてもさっぱり執筆に集中できない理由は明白だったが、鏡花の心中は複雑だった

(どうしてこの僕が、あんな子に振り回されなくちゃいけないわけ?)





 『あんな子』、つまり芽衣の様子がおかしくなったのは1ヶ月前の座敷が発端だった

「ねえ、あんた。その手、どうしたのさ?」
 いつものようにお酌してもらっている最中、ふと芽衣の手を見た鏡花は指に巻かれた包帯に目を留めた
「えっ、あ、そ、その…………少し、怪我しちゃって」
 あはは、と笑う芽衣の顔はどこかよそよそしく、さりげなく手を鏡花から隠した。その様子に不信感を抱かない人間などいないだろう。もちろん、鏡花も問いただそうとしたのだが……
「あー、お酒無くなっちゃいましたね。すぐ準備してきます!」
 わざとらしく席を立った芽衣は、その日鏡花のところに戻ることはなかった
 その後は座敷で顔を合わせても、すぐさま鏡花の元を離れるようになった。何か芽衣の気に障るようなことをしたのかと思ったが、全く心当たりがなかった
 それに、町中で芽衣に会うことがなくなった。気になった鏡花は置屋を訪れたが、芽衣はいなかった。音二郎によると、毎日昼間はどこかへ出かけているらしく、座敷が始まるぎりぎりまで戻ってこないらしい





 避けられてる。それが、鏡花が感じたことだった
 まさか、自分のことが嫌いになったのだろうか。何度も『グズ』と呼ぶ自分に、とうとう嫌気がさしたのだろうか
 それとも、決して、決して考えたくないのだが……自分の故郷に帰ろうとしているのだろうか。それだけはなんとしても阻止したい。芽衣の話によれば、帰ったら最後、二度とこちらへは戻って来れないそうだから
 嫌われるならまだしも、二度とあの笑った顔を見られなくなるのだけは耐えられない

 鏡花は決意した。今日こそ問いただしてやる、と。芽衣が戻ってくるまで置屋の前で待ち伏せしよう、と鏡花が腰を上げたのと

「鏡花さーん」

 愛しい彼女の声が聞こえたのは同時だった





 鏡花の下宿先の玄関口で、鏡花が現れるのを今か今かと待っていた芽衣は、ガラッと玄関を開けてこちらへ向かってくる鏡花に顔を綻ばせた
「鏡花さ………………………ぐふっ」
 こんにちは、と挨拶しようとした芽衣は力いっぱい鏡花に抱きしめられていた
「あ、あの、苦し‥」
「このグズッ!!今までどこに行ってたんだよ!?僕がどれだけ心配したのか分かってんの!?」
 耳元で盛大に怒鳴られ、芽衣は頭がクラッとした。しかし、よくよく考えてみると、この1ヶ月間鏡花とまともに話をしたことがなかった。だから、鏡花の言い分は理にかなっている
「すみません……ご心配をおかけして……」
「全くだよ。この、グズ…………」
「はい…」
 芽衣の温もりを確かめるかのようにきつく抱きしめる鏡花の背中に、芽衣も手を回したのだった





「で?あんたは今の今までどこで何をしていたのさ?」
 部屋に通された芽衣は、早速鏡花からの質問に答えねばならなかった
「えっと、鴎外さんのところに行ってました」
「はぁ?森さんのお宅に??」
「あ、でも、鴎外さんに用事があったんじゃなくて、フミさんに用事があったんです」
 芽衣が森邸にいるお手伝いさんの名前を挙げると、鏡花はますます訳が分からない、と言いたげな顔をした
「いったい何しに……」
「それはですね、」
 芽衣は持ってきた風呂敷包みを、鏡花に差し出した
「鏡花さん、ハッピーバースデー!」
「……………はぁ?」
「今日って、鏡花さんのお誕生日ですよね?だから、誕生日をお祝いしに来ました!」
 確かにそうだ。今日、11月4日は鏡花が生まれた日である
 しかし、誕生日は元旦にまとめて祝う、というのが鏡花の生きる明治の世の習慣である。何故わざわざ当日に祝う必要があるのか
 そんな鏡花の疑問を汲み取ったかのように芽衣が説明する
「私のいたところでは、生まれた日にお祝いするんです」
 なるほど、それが彼女の故郷での習慣らしい
「これ、誕生日プレゼントです!どうぞ受け取ってください!」
「ふ、ふん……まあ、あんたが僕のために用意してくれたものだからね。ありがたく受け取っておくよ」
 ずいっと差し出された風呂敷包みは、見た目に反して軽くふわふわとしていた。開けてもいいのか、と尋ねると芽衣は元気よく頷いた
「これは…」
「はい、マフラーです!あ、襟巻きって言った方が馴染みがあるかもしれませんけど」
 マフラーは、鏡花の髪の毛と同じ明るい色をしていた。広げた風呂敷から取り出すと、所々に白いウサギが刺繍されている
「毛糸だったらともかく絹糸のマフラーを最初から作るのは無理だったんで、ウサギの刺繍だけしたんですけど…
 すみません、不器用で………」
 申し訳無さそうに笑う芽衣が言うとおり、ウサギははっきり言って不格好だった
 けれども、芽衣が鏡花のことを想いながら一生懸命作ってくれたものだ。指を怪我してまで作ってくれたんだと知ったら、どうしようもなく嬉しくなる
「ま、あんたに器用さなんて期待してないから別にいいけど…………」
そう言いながら試しにマフラーを首に巻いて見る。柔らかなそれは暖かかった
「い、一応礼は言っといてあげる。ありがと………」
 顔を赤らめながら、消え入りそうな声で礼を言った鏡花に、
「どういたしまして。喜んでくださって私も嬉しいです」
 芽衣は、本当に嬉しそうな笑顔を浮かべたのだった





「ねえ、あんた。そろそろ置屋に戻る時間じゃないの?」
鏡花がマフラーを畳みながら投げかけた質問に、芽衣は笑顔で首を振る
「いえ、今日はお姐さんにお願いしてお座敷はお休みにしてもらいました
 鏡花さんのお誕生日ですから、なるべく一緒にいたいと思って」
「ふうん………」
刻一刻と闇が迫る薄暗い室内。鏡花が悪巧みを思いついたような笑みを浮かべたことに芽衣はもちろん気づかない
「じゃあ、誕生日の祝いにもう1つ欲しいものがあるんだけどさ」
「はい、何でしょう?私に準備できるものですか?」
妖しい雰囲気をまとった鏡花がにじり寄っても、能天気に笑っている芽衣。これはもはや、暗闇のせいではなく、芽衣の危機感のなさによるものだろう
「じゃあさ……」
優しく芽衣を抱きしめた鏡花は、その抱擁と同じくらい優しい口づけを落とした
「芽衣、あんたが欲しい……いいよね?」





その後の2人について書くのは野暮と言うものだろう





とにかく、その年の鏡花の誕生日は彼にとって人生で一番幸せな誕生日となった





そしてこの年以降、毎年冬になるとウサギの刺繍が施された杏色のマフラーを巻いて神楽坂を散歩する鏡花の姿が目撃されたと言う