ふう、と息を吐きながらスケッチブックを閉じた彼におそるおそる尋ねる
「もういいんですか?」
「どうしたの、疲れたような顔をして」
(‥……誰のおかげだと思っているんですか)
表情の乏しい顔で私のことを見ている彼には、相変わらず自覚がないみたい
「ああ、腹が減ってるのか」
「へ?」
「もう昼も回っている頃だし」
「いえ、違います!そんなんじゃ…」
ぐーーーーーーーーー
「!!!!!!!!」
「はは、君って正直だね。ほら、食べなよ」
彼が言うとおり、私のお腹は正直だった
春草さんが差し出した包みを受け取る。中に入っていたのは
「……団子?」
竹串には丸い団子のようなものが2個刺さっている。けれども団子に比べると1つがかなり大きい。1本を手にとって匂いを嗅いでみると、醤油の匂いがした
「五平餅だよ。小さい頃、母さんがよく作ってくれてた」
春草さんが懐かしそうな声で言った
「初めて見ました」
「だろうね。俺も東亰では見たこともない」
つまりは郷土料理なのだろう
「いただきます」
一口かじってみると、醤油の香ばしさが口の中に広がる。どうやらご飯をつぶして焼いたもののようで、お米のつぶつぶ感がまだ残っている
「美味しい~」
春草さんも自分の包みを開けて1本をかじる
「うん、美味しい
………何。人の顔をじろじろ見て」
「あ、いえ……なんだか春草さん嬉しそうだなって。もしかして好物なんですか」
「……別に好物ってほどじゃない。嫌いでもないけど」
絶対好物だ。だって春草さん笑顔だったもの
「俺の顔なんか見てないで早く食べなよ。それぞれ味が違うから」
「え、そうなんですか?」
包みの中にはあと2本残っている。どんな味なんだろうと思いながら、手に持っている醤油味をほおばる
「ちょっと、そんなに急いで食べたらのどに詰まるよ」
「ふぁいほーふへふ」
「いや、大丈夫じゃないだろ」
私の言いたいことを正確に読みとった春草さんにしらけた目で言われたけど、このくらいどうってことはない。食べ終わると次の1本に手を伸ばす
「これは…味噌?」
餅の表面に茶色いものが塗ってある
「さあ?食べてみれば分かるんじゃない?」
「そうですね。じゃあ、」
パクッとほおばると、甘くて濃厚な味噌の味もするけど、ピリッとした辛さが舌を刺激する
「う、」
「どうしたの」
「少し、ピリッときたので」
「ああ、山椒が入っているから」
なるほど、なんだか大人の味だ
山椒味噌を食べ終えると最後の1本。これもさっきと同じように味噌を塗ってあるみたいだけど、何かつぶつぶしたものも混じっている。これは……
「胡桃?」
口に入れると、コリコリした食感と胡桃特有の香ばしさが口の中に広がる。砂糖も入っていてとても甘い
「美味しい~」
これが一番気に入った。無我夢中でほおばっているとあっという間になくなってしまった
「ごちそうさまでした」
「君…ちゃんと味わったわけ?」
「ちゃんと味わいましたよ。あー美味しかった」
こうやって自然の中で食べるお昼ご飯はとても美味しい。他の誰かと、特に春草さんと一緒に食べたらもっと美味しい
春草さんの方を見ると、まだ1本が残っていた
春草さんに「食べるの手伝いましょうか?」と冗談半分で言おうとしたら「君、まさか俺の分まで食べるつもりじゃないよね。どれだけ食い意地張ってるの」と釘を刺された。凍てついた目で「図々しい」とまで言われたら、冗談であっても言う気分になれない
特にする事もない私は側に置いた白い花を手にとって見つめる。そういえば、まだこの花の名前を聞いていない
「春草さん、この花の名前って何ですか?」
春草さんが食べ終わるまで待っていた私が尋ねると、彼は口元を拭きながら教えてくれた
「シラヒゲソウ」
「なんだか、見た目そのまんまですね」
糸のように細く裂けた花びらは確かに髭みたい。でも、もう少し可愛らしい名前にしてほしかった。例えば…もじゃもじゃ草とか。ダメだ、逆にダサくなった
クルクルと弄んでいると、隣からため息が聞こえてきた
「君、口に味噌付いてるけど」
「え……。どこですか」
「ここ」
春草さんが自分の口元を指さす。慌てて拭おうとしたら、その腕を掴まれた。顔を上げてどうしたのかと聞く前に彼の顔が近づいた。そのまま口元をぺろりと舐められる
「!!!!」
「ごちそうさま」
口の端を吊り上げて笑う彼の顔が離れるやいなや、すぐさま後ずさった私。あわあわと口元を押さえる
「何」
「い、いい、今、ぺろって……」
「舐めたけど。それが何」
パニック状態なのは私だけで、春草さんは涼しい顔
「………」
いつもそうだ。私ばかりが意地悪される。それで彼のことを嫌いになったりなんてないけれど、たまには反撃してみたくなる。いや、私にはその権利があるはずだ
春草さんに向かってバッと手を伸ばす。だが、彼に届く前に手首を掴まれた。そのまま押し返されそうになるが、私は押し返されまいと腕に力を込める
「いきなり何」
「春草さんに仕返しするんです!放してください」
「嫌だ。何する気?」
やっぱり嫌がられた。けれども、ここで引き返すわけにはいかない
「大丈夫です。変なことはしませんからっ」
「信用できない」
その後も押し合いを続けた私たち。たぶん春草さんが本気を出したらあっという間に私が押し返されてしまうのだろうけど、手加減してくれているようで、長い時間続いた。だからその分疲れる。私の顔に疲労の表情が浮かんでいるのを見て、春草さんが言った
「しつこい。もう諦めたら」
「嫌です。諦めたりしません、からっ」
「ああそう」
「わあっ」
いきなり力を緩められて、思わずバランスを崩しそうになる。何とか踏ん張って体勢を立て直し、彼を見る
「もういい、疲れた。君の執念深さには適いそうもない」
「え、じゃあしてもいいですか」
「好きにすれば」
春草さんも本当に疲れたらしく返事も投げやりだ。私は手にシラヒゲソウを持ったまま春草さんに近寄る
「少しの間だけ目を閉じてもらえますか」
「変なことはしないでよ」
渋々といった感じで目を閉じる春草さん。その髪にシラヒゲソウを注意深く挿す。1本だとちょっと物足りないのでもう2本挿した
「これでよし。もういいですよ」
目を開けた春草さんは髪に手をやり、水面に映った自分を見て顔をしかめた
「よく似合ってますよ」
「そんなこと言われても嬉しくない」
ニコニコと微笑む私に対し春草さんは仏頂面だ。髪に手を伸ばしシラヒゲソウを取ろうとする
「ああっ、取っちゃダメです」
慌てて春草さんの手を掴む
「何で。もう気が済んだだろ」
「でも、せっかく似合ってるのに……」
「だから嬉しくないって言ってるだろ」
「とにかく、私がいいって言うまで取らないでください」
そこまで言うと、春草さんは諦めたらしく、手を下ろした
「はあ。とりあえず君の言うとおりにするけど、」
言葉を切り、私を抱き寄せる
「え、何するんですか」
「俺も仕返ししていいよね」
耳元で囁かれ、背中に回された腕に力が込められる
「動かないで」
そう言って私の髪を梳くと、何かを挿した。少し離れて私の顔を見ると、「うん、よく似合ってる」と満足そうに微笑む
「え、何を……」
何かを挿したであろう箇所に手をやると、固い物が当たった。急いで水面を見ると、
「…簪?」
水面に映る私は、紫色の装飾が付いた簪を挿していて大人びて見える。けれども、ゆらゆら揺れるので簪がよく見えない。もっとよく見ようと思い、髪から抜いた
「ちょっと、何で取るの」
「すみません。でも、もっとよく見たいと思って。あの、春草さんが買ってくれたんですか?」
「…そうだけど、悪い?」
不機嫌そうに答えるその顔は少し赤い
「いえ、そうじゃなくて。綺麗な簪ですね。私にはもったいないくらい」
桔梗の花を模した紫色の飾りは落ち着いた印象を与えていて、大人っぽい
「ありがとうございます」
「気に入った?」
「はい、とっても」
「良かった。ほら、もう一回挿すから貸して」
そう言って春草さんはもう一度簪を挿してくれた
「ふふ、なんだかお揃いみたいですね」
「は?何が」
「だって2人とも髪に花を挿してるじゃないですか」
そう言うと春草さんは少し動揺したみたい。早口になった
「こ、これは、君が勝手に挿したんだろ」
「そうですけど。でもお揃いって嬉しいです」
「そういうものなの?」
春草さんは釈然としないみたいだけど、私にとってはとても嬉しいものなのだ。2人だけで共有できる思い出だから
「そういえば、春草さん。どうして簪くれたんですか?」
今まで簪が欲しいとかおねだりしたことなんてなかったから(そもそも簪が欲しいなんて思ったことすらなかった)、急に買ってくれたことが不思議でたまらない
「それは………」
春草さんは黙り込んでしまった。顔を赤くして襟巻きに顔をうずめている
「別にどうだっていいだろ」
「私は気になります。どうしてですか?」
春草さんは口を開きかけては閉じるのを何回か繰り返して、ようやく小さな声で言った
「…………綺麗だったから」
「簪が、ですか?」
「違う。……君の着物姿が…その、綺麗だったから、案外こういうのも、似合うんじゃないかと……」
「へ?」
「いちいち顔を赤くしないでくれる。こっちまで恥ずかしくなる」
赤い顔で睨まれるけど、私の顔だってたぶん真っ赤だ
「そ、そんなに、綺麗、でしたか?」
「何でまだ聞くの」
「す、すみません」
確かに、これ以上突っ込むのは春草さんも私も恥ずかしい
「あの、ありがとうございます」
「まあ、黙っていればの話だけど。君って本当はそそっかしいし、よく食べるし」
「…………」
照れ隠しのつもりで言ったのだろうけど、少しカチンときた。だから
「春草さん」
「何」
こちらを向いた春草さんに少し意地悪をする
顔を離すと、 目を丸くして固まっていた。かなりの勇気が必要だったけど、彼の驚いた顔を見れたのだから満足だ
「何の、つもり」
「仕返しです。…っ!!」
本当はお礼の気持ちも込めたんだけど。満たされた気分で答えた私に、今度は春草さんが仕返しをしてきた。顔を離した春草さんが一言
「君が俺に仕返ししようなんて100年早い」
そう言って再び顔を寄せてくる彼にはずっと適いそうもない。だけど、それでもいい
幸せを噛みしめながら私はそっと目を閉じた
「あ、お帰りー…………!?」
家の前まで来ると、よしちゃんがいた。挨拶した途端、何故か顔を背ける。そうかと思えば肩が震えだし、ついには笑い声が聞こえた
「あの、よしちゃん?」
「あははは、兄さん、それ、あはは、よく似合ってる、ほんとに似合ってる、あはは…」
似合ってる?何がだろうと思って春草さんを見上げて気づいた
「あ」
不機嫌な顔のまま、そっと髪からシラヒゲソウを抜く彼
「あははは、可愛い、あはははは」
笑いが止まらないよしちゃんに私も次第に笑いが
「ふふふふ」
「ちょっと、何で君まで笑ってるの」
「すみません、でもなんだかおかしくて」
睨まれるけど、笑いを収めることができない。そのまま笑い続けていると、耳を引っ張られた
「痛っ。もう、何するんですか」
「あははは……はぁ、お腹痛い」
時々笑いながらもなんとか元に戻ったよしちゃんが近づいてきて、春草さんの手からシラヒゲソウを取った
「へえ、シラヒゲソウ…ねえ、シラヒゲソウの花言葉って知ってる?」
「ううん、知らない」
春草さんも知らないみたいで首を傾げている
「シラヒゲソウの花言葉はね‥
『愛情の絆』って言うんだよ」
2人にぴったりだね、と言われて、思わず顔を赤くすると、春草さんも同じような反応をしたらしく、「2人とも顔赤ーい」とよしちゃんに笑われた
シラヒゲソウを手にしたまま家の中へ入っていく彼女を私たちはただ見送ることしかできなかった