--始まりは7月下旬
「春草さん」
コンコンとノックして扉を開けると、春草さんは机に向かっていた
「ああ、何」
「夕餉の用意ができました
……手紙を書いてたんですか?」
手元を覗いてみれば、机の上には二通の手紙。おそらく一通は春草さん宛に届いたもので、もう一通が書きかけのものだろう
「実家から届いたんだ」
「春草さんのご実家って確か信州でしたよ ね」
「久しぶりに帰ることにしたから、連絡し ようと思って」
「そうなんですか。ちなみにどれくらい滞 在する予定なんですか?」
現代だったら交通が発達して新幹線も通っているから東京から長野までは1日で行ける。でも、明治時代にあるのはせいぜい鉄道くらいだ。それも現代に比べたらスピードはかなり劣る
「ここから実家までで4日か5日。向こう で4泊するつもり」
「じゃあ2週間くらいですね」
(2週間会えないんだ…)
一緒に住んでいてほぼ毎日顔を合わせているから、2週間も会えないのはとても寂しい。でも「一緒に行ってもいいですか」なんて言えないし……我慢するしかないのだ
「寂しい?」
「…え?」
「俺がいなくて寂しい?」
確かに春草さんに会えないのは寂しい。けれどもそれを言ってしまったら、まるで実家に帰るのを止めているみたい。
「いえ、大丈夫です」
彼を困らせてしまわないようにしなければ
と思ったのだけれど
「嘘。顔に寂しいって書いてあるけど」
「…………」
相変わらず春草さんは鋭い。それとも私が分かりやすいだけなのか。しばらく考え込んだあと、春草さんは驚くようなことを言った
「……あのさ。…君さえよかったら俺と一緒 に来る?」
「え!?そんな、せっかく実家に帰るの に、私がいたら、邪魔になっちゃいます よ」
「でも、寂しいんだろ」
「…そりゃ、寂しいに決まってます」
……ああ、言っちゃった。言わないでおこうと思ったことを言ってしまった罪悪感から私が俯くと、春草さんの呟きが聞こえた
「…芽衣に会えなくて寂しいのは俺だって 同じだし」
「え?」
おそらく独り言だったのだろう。けれども、私の耳はバッチリ捉えてしまい、思わず顔を上げて聞き返すと、「何でもない」と言って春草さんは顔を背けた。長い髪の間から覗く耳がかすかに赤いのは気のせいではないだろう。それにつられた私も顔が熱くなっていくのを感じる
お互いがなんだか恥ずかしくて沈黙が室内を支配する。その沈黙を破ったのは、
ぐーーーーーーーーー
「!!!!」
私のお腹だった。
さっきよりも余計恥ずかしくてますます顔を真っ赤にする私に対し、春草さんの視線は冷たい
「はぁ。君って、ほんとに…」
「す、すみません!」
(ああ、恥ずかしい!何でこのタイミング…)
何故私のお腹はいつもタイミング良く鳴るのか
「ほら、行くよ」
そう言って春草さんは立ち上がり、扉の方へスタスタと歩いていく
「え、どこに?」
「サンルーム。夕餉出来てるんでしょ」
あ、そうだった
「ああ、さっきの話だけど、」
部屋を出かけた春草さんが私の方へ振り返った
「実家に帰るのはまだ先のことだから。考 えておきなよ」
そう言って今度こそ部屋を出てしまった春草さんを急いで追いかける
「あ、待ってくださいよー」
結局、春草さんについて行くことにした私
春草さんのご家族は困るんじゃないかと思っていたけど、春草さんが手紙を送ったところ「是非いらしてください」との返事をもらえたそうだ
……のはいいのだけど
「あのー、春草さん」
「何」
「本当に良かったんでしょうか?」
おずおずと尋ねる私に春草さんは呆れた顔をした
「まだ言ってんの」
「だっていくら何でも荷物少なすぎじゃな いですか?」
出発直前、私の荷物を見た春草さんが言ったのだ
『もっと荷物減らして』
と。そう言われて減らした荷物は春草さんが全部持っている。私がいくら持つと言っても、春草さんが譲ってくれなかったのだ
「そもそも君、何で荷物の中に煎餅がやた ら入ってたの」
「それは、お腹が空いた時に食べようと 思って」
「君、まだ食べる気だったんだ………」
呆れた声で言われた。そうは言われても、だ
(逆におやつがあったらもう少し道中食べる量が減っていたと思うんだけどなぁ)
と思っている自分がいる
私がそうやって言い返そうと口を開いた時-
「あ、ミオ兄ちゃん帰ってきたーー!」
どこからか子供の声が聞こえてきた。かなり近くで聞こえたような気がして誰だろうと思い辺りを見回してみる。周囲には似たような家が建ち並んでいて(たぶん武家屋敷というものだろう)、静かな雰囲気が漂っている。私達の他に人の姿は見受けられない
(空耳かな?)
私が首を傾げたのと
「うわっ」
春草さんのぎょっとした声が聞こえたのは同時だった