少し前ですけど、ゴールデンウィーク前に、母の納骨と併せて百箇日の法要を執り行いました。

 

当初、納骨場所は妹の住まいの近くに新しく建設中の都市型霊廟にしようかと、妹夫婦が提案してくれていたのですけど、下見してくれた結果、参拝方式がイメージと違うので白紙に…

 

いくつか検討した中で、千葉にある都市型霊廟の参拝方法がわたしたちのイメージに近く、駅近で利便も良いということで決まりました。

 

わたしが距離的に近いのと、長女(笑)なので、墓碑デザインの選定や法要のスケジュール及び契約など引き受けます。

 

わたしは、月2回くらい土曜の午前中に入力作業をする当番があるし、月1回ホルモン注射のため通院するので、土曜の午後はついでに用事をつけやすいから、契約時の1ヶ月は毎週土曜日にこの霊廟へ出向いてました。

 

契約の後、法要の日まで少し日数があって、そのあいだにわたしはレディース礼服やパンプスや小物などをそろえました。

 

法要の日は、早めに霊廟へ出向いてお出迎え。

もっとも、参列するのは近しい人たちの叔母夫婦と妹夫婦だけですけど…

 

母は病床にいるうちに、叔母と妹へわたしが性同一性障害で女性に代わったことを話してくれていましたが、前の葬儀のときは浜松の人たちの手前、「ズボンで(=男性の姿で)来て」と妹からオーダーされて男性の姿でいたので、まだ女性の姿を見せていませんでした。

 

そのあとの遺品の整理の時に、妹夫婦とは女性の姿で会ったから免疫はできていたけど、叔母夫婦と女性の姿で会うのはこの日が初めてです。

 

叔母たちがみえて出迎えると、ふたりは驚いたようすで、一瞬の動揺が見て取れました。

 

それでも、叔母は気をとりなおして「どこの娘っ子がいるかと思ったよ~」と軽口をいいます。

その反対に、旦那さまはどう接していいのか困ってしまったみたい。ずっと無口になってしまいました。

 

まぁ…

万人が理解できることではないから、いいけど。

 

 

小さいホールで近親者だけの、こぢんまりとした法要。

白木の位牌から本位牌へ魂を移す儀式から焼香、そして参拝スペースへ場所を移して読経のあと、骨壺を納めた厨子が埋蔵ユニットの中へ収納されます。

 

「あぁ… 母は、あちらの世に旅立ってしまったのねぇ」

 

お坊さまが説法で、「百箇日は『卒哭忌(そっこくき)』と言って、嘆き悲しむことを終わりにする節目」なのだとおっしゃいます。

でも、わたしは心に穴が空いたようで、まだしばらくは涙を止められそうにありません。

 

改めて焼香をして、百箇日の法要と納骨は終了になりました。

 

そのあと、会食も用意しておいたので席を移します。

会食の始まりで、葬祭ディレクターさんから「施主さまから、ご挨拶を」と、わたしに振られて面食らってしまったけど、「そうかぁ…わたしが契約やスケジュール調整の窓口をしてたからかしらね」と納得。

 

恥ずかしがってモタモタしては、場の雰囲気が悪くなると思い、意を決して立ち上がって短い挨拶をしました。

 

「本日はお忙しい中、亡き母のためにお集まりいただいて、誠にありがとうございました。些末な席ではございますが、母の思い出などを語らって偲んでいただけたらと思います。ありがとうございました」

 

叔母や妹にメールしていた言葉の焼き直しだったけど、とっさに言葉がまとめられてよかったわ。

 

そのあと、義叔父さまに献杯のご挨拶をお願いして、母の思い出やエピソードをお話しながら、和やかにお食事。

 

叔母は、母にも陰膳を用意していたのを見て、「お姉ちゃんにも、お食事を用意してくれたんだねぇ。(糖尿病で)食べたいものをガマンしてたから、美味しいものをお腹いっぱい食べられてうれしいでしょう」と言ってくれました。

 

繰り返しになっても思い出を語り合っていると、前後の経緯や新たなエピソードが出てきて、母の人物像が偲ばれてよかったです。

叔母は、「いいお式になったねぇ」と労ってくれて、わたしも安堵と温かい心持になりました。

 

和やかな時間を過ごしてお食事も終わり。

祭壇にお供えしたもので、重いフルーツの籠盛りとアレンジ生花はクルマで来た叔母に、軽い菓子折りとお線香を電車で来た妹にお持ち帰りしてもらって、わたしは生花とお線香をいただききました。

 

叔母夫婦を式場でお見送りして、妹夫婦はわたしがクルマで駅まで送って、わたしは母の位牌と一緒に帰りました。