大学のゼミ教授である、恩師のお墓参りに行きました。三浦半島の高台にある海辺の墓地で、フランス文学の先生にふさわしい洋風で、モダンなお墓に眠っておられました。
ポール・ヴァレリーの「海辺の墓地」という詩を思い出しました。

2017年2月に亡くなられたことを昨年秋に知り、交流のあった恩師の奥様にアメリカから電話をかけて、お話を伺いました。
私の母も、その3ヶ月後に他界していたので、大切な人を喪う辛さは、痛いほどわかります。
当時は、悲嘆に暮れる毎日でしたが、徐々に自分の生活へ戻って行きました。
私には、まだ幼い娘がいます。私が悲しみに暮れていると
ママ泣かないで。と4歳になったばかりの愛娘に言われ、私がしっかりしないといけないと我に戻ることが何度もありました。

ところで、饗庭孝男先生との出会いは、大学のフランス文学科の教授で、私が3年次に先生のゼミを専攻したことです。
なぜ先生のゼミクラスを受講したのかー神戸のこの大学を受験先に選んだ際、高校の当時担任だった国語教師から、この大学に、こんな有名な先生がいるのか。饗庭さんは、有名な文芸評論家だから、この先生に習いなさい。と強く薦められたからです。
入学後2年間は、フランス語の基礎習得ということで、先生の授業を受けることは、出来ませんでした。
先生の印象は、威厳があり、なんとなく近寄りがたい雰囲気のある先生でした。
しかし、慣れてくるにつれ、先生のお人柄や考え方を知り、フランス文学の授業で、その知識や解読・評論等に触れ、深い洞察力や感性の瑞々しさに感動を覚えることが何度もありました。
このような本質をきちんと見極めることのできる大人になりたいと20歳の私は、真剣に思っていました。
フランス文学者でありながら、同時に日本文学にも精通しておられる多才な先生でした。
プルーストから西行まで、幅広く何でもご存知の稀有な学者であられました。
独特で、ピュアな感性をお持ちの先生の書物を大切に読んだ記憶があります。
サインをして頂きたくて、本を買って、ゼミに持参したり、作家の宮本輝の本の帯を先生が頼まれて書いたエピソードを教えていただいたりしました。
決して、威張らず、謙虚で控えめながらも、自分の信念を貫かれるお姿を尊敬していました。教養に満ちたその眼差しは、真実を見抜いておられました。

あの学生の頃から20数年が過ぎて、私も随分年を重ねて、母となり、今は、アメリカに暮らしています。
先生が一度も足を踏み入れなかったアメリカにです。
私は、先生の元で学べたことを誇りに思います。
先生に出会えて、本当に良かったです。
無名であることを大切に思っておられたところに
、先生の優しさと素晴らしさが凝縮されている気がするのです。
写真は、先生の奥様からエアメールで、頂いたお別れ会の資料です。奥様も先生に似ておられ、ユーモアのセンスがおありで、知的で、控え目な方です。いろいろお話を伺っていると、私など足元にも及ばないとその見識の深さには、いつも感心させられます。もうお会いすることはできませんが、交流を持てた時間を大切に心の内に閉まって、時々は、その時間を思い出したいです。