- 前ページ
- 次ページ
あなたが逝けば、僕もそうするだろう。
あなたを悲しませないためだけに、今僕は生きているといってもいいかもしれない。
でもその時がくるまでは、悲観しながら生きたくはない。 死などとは無縁であるかのように生きたい。
普通に笑って、普通に怒って、普通に泣いて、出来るなら人を愛して、。
そして僕などいなかったかのように、静かに、確実に、さようならしよう。 ^^
親しい年老いた人が一人いなくなれば、僕も消えるだろう。
いや、そうあってほしい、そのためにこれを書いている。
未練がないわけじゃない。 世の中の続きが気にならないわけじゃない。
ただ、この不安、息苦しさ、人からの誤解にはつかれた。 すがすがしく「さようなら」なんて言えた日はない。
必ず声が詰まった不快感、相手がどう思ったかの不安感でその日を終える。
それが人生の最後の「さよなら」でもすがすがしく言えるとは思えない。
言えないなら、何も言わずに僕は去ります。
この病気は、神様が僕に向けた、これ以上ない具体的なメッセージだから。
…とまあこれが実現するのが何年後なのか。 それは僕の意思では決められないし、
待ってるわけでもない。 ただいずれそうなることを僕は願っている。
資本主義のゲームの中で戦っている人は立派だと思う。 でも、そこから外れて生きてもいいよね。
寿命50年?、結婚、人並みの収入、色んなものを諦めるんだから。 でも悲壮感はあまりないんだ。
そういえば小泉八雲って外人で怪談話書いた人ぐらいしか知らなかったけど、辞世の句めっちゃ好きやわ。
、、こうありたい。
_______________________________________________________
私死にましたの、知らせ、いりません。
もし人が尋ねましたならば、
はあ、あれは先ごろ亡くなりました。
それでよいです。
あなた、子供とカルタして遊んで下さい。
小泉八雲