昨年令和5年12月20日からの通院について備忘録を残します。今現在まだ治療中ですが、あまり深刻なのは苦手なのでなるべく面白おかしく書いていこうと思います。同じ病気で大変な思いをする方には不謹慎かもしれません。どうかご容赦ください。

 

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●令和5年12月中旬

 

 子供の頃から股間をいじる癖(変な趣味ではない)がある私は、その日も寝る時にモゾモゾしていたら右側のタマに米粒より大きめのコリコリがある。かみさんに医者に行くように言われる。痛みなどの症状はまったくなし。

 

●令和5年12月20日

(近所の腎泌尿器科クリニック)

 

 私が気付いたコリコリは問題なし。念のためエコーで診てもらったらそれとは別に腫瘍が発覚。触ってみても確かに右精巣にへばりつくように1㌢ちょっとの固いものがある。腫瘍に血流が見られる。準緊急で対処が必要とのことで医師が開業前勤務した我孫子東邦病院での検査を受けることに。当日の血液検査(腫瘍マーカー)・尿検査、前立腺異常なし。

 

●令和5年12月22日

(我孫子東邦病院)

 

 20日のエコー検査の画像CD-Rを提出。MRI検査を受け検査画像CD-Rを受け取る。

 

●令和6年1月10日

(近所の腎泌尿器科クリニック)

 

 我孫子東邦病院のMRI検査画像CD-Rを提出する。腹部単純CT検査を受ける。腫瘍は悪性の可能性が高く転移が速いらしい。泌尿器系では千葉県で実績ある我孫子東邦病院での手術を勧められる。入院は5~6日。仕事の兼ね合いも含め意志決定は日を改める。

 

●令和6年1月14日

(近所の腎泌尿器科クリニック)

 

 我孫子東邦病院で手術を受ける意思を伝える。1月17日造影CT検査、1月18日手術が決まった。開業前に勤務した病院だけあってスケジュールをねじ込んでもらえた。

 手術の概要説明を受ける。右足付け根上部を5㌢ほど開けて、精巣と精管、血管と神経まで根こそぎ上に引っ張り出す。高位精巣摘除術と言うらしい。手術後は出血・感染などの合併症対策で股間に強力なテーピング、排尿用の管を挿入するのが通常のようだ。想像しただけで疼いてきた...聞かなきゃ良かった。

 

●令和6年1月17日

(我孫子東邦病院)

 

 血液検査、胸部・腎膀胱造影CT検査を受ける。造影CTは点滴で造影剤を入れる。点滴開始から間もなく胸辺りから熱くなり手指の先までじわ~っと熱いのが伝わってくる。普通はこれを嫌がる人が多いらしいが私は気持ちが良かった。同検査結果はすべて異常なし。自覚症状もなし。

 

●令和6年1月18日~20日

(我孫子東邦病院)

 

 18日正午入院。前日の検査結果を受けて予定通り午後2時過ぎ手術室へ。テレビドラマとかでやるストレッチャーで物々しい移動ではなく徒歩で移動。入室前かみさんにグッド!を送る。

 21歳の時虫垂炎をこじらせて3週間入院した時の手術は部分麻酔だったが今回は全身麻酔。麻酔科と担当の医師の挨拶の後間もなく意識が無くなる。1時間半後手術が終わって目が覚めるまではまったくの”無”の状態だった。何もない”無”。これがまさに死んだ後の世界なのかと思った。

 手術後病室への移動はさすがにストレッチャーで。気が付くと事前説明にあった強力股間テーピングも排尿用管もなかった。看護師が不思議がっていた。運がいい。

 

 19日朝。入院日は朝食抜きだったのでそれ以来の食事。

 

 

 病院飯も腹が減っているとうまい。

 午前中に担当医の回診があり状態が良いので明日で退院できると言われる。3日で退院。子供の頃から怪我しても傷の治りは早い体質だった。「なかなかやるな私の体」と思った。

 

 

 20日朝点滴が外され無事午前中に退院。摘出した腫瘍の病理検査結果と診察は2月5日とのこと。不安が残るがとにかく退院できて良かった。3日ぶりの煙草がもの凄くうまかった。かみさんには呆れられた。

 

 

「右側のタマを摘出し3日で無事退院したnadarechanさん。しかしこの後更なる試練がnadarechanさんを襲います」

(プロジェクトX 久保純子アナ風)

 

 

●令和6年2月5日

(我孫子東邦病院)

 

 午後病理検査について泌尿器科担当医から伝えられたのは経過説明のみだった。どうも腫瘍の原因が血液由来の可能性があるとかで結果が出るまであと2週間程かかるとのこと。予想外のシュールな展開だ。

 

●令和6年2月21日

(我孫子東邦病院)

 

 2月16日、病理検査の結果が出た旨の電話連絡があった。午後ドキドキしながらかみさんと病院へ向かう。

 

 

 腫瘍の原因はやはり血液から来ていた。CD20陽性はB細胞性リンパ腫だそうだ。所謂悪性リンパ腫。これって死ぬやつじゃん。何かが足元からボロボロと崩れ落ち呆然とする俺とかみさん。(あまりの衝撃に一人称は「私」ではなく「俺」になった)

 

 泌尿器科担当医

 「泌尿器科はこれで終了です」

 「この後は血液内科で診察をお願いします」

 

 泌尿器科担当医に促され足取り重く血液内科で診察を受ける。担当医は女性医師。

 

 血液内科担当医

 「今後の治療は化学治療と放射線治療になります」

 「県またぎの治療は緊急時の対応が難しいので居住県の病院を紹介しますがどうしますか?」

 

 俺

 「筑波大学附属病院でお願いします」

 「ところで俺の状態は所謂ステージ何なんですか?」

 

 血液内科担当医

 「病期評価はこれからの検査によります」

 「リンパ腫の場合大体はステージⅢかⅣです」

 

 重い足を引きずり勤務先へ検査結果を報告。自宅までの車中無言の俺とかみさん。家にたどり着いて「もしかしてあれが『告知』ってやつ?」「随分軽いな~」「しかもステージⅢかⅣがほとんどだって」「化学治療って抗がん剤だよね」「それハゲるよね」...笑うにも笑えなかった。

 

 病名は「精巣原発びまん性大細胞型B細胞性リンパ腫」。

 リンパ腫は60種類以上あるらしく私の場合(家に戻って少し落ち着いたので一人称も「私」に戻る)は中悪性度で、月単位で進行するタイプだ。幸い明日2月22日、筑波大学附属病院で受診出来ることになった。

 

 12月20日初診から2か月。月単位で進行するタイプだからどれだけだろう。明日からの検査や治療に向けて気持ちを整理した。これからどうなるんだろう...

 

 

「悪性リンパ腫であることが判明したnadarechanさん。治療先の病院で過酷な試練が待ち受けることになります」

(BGM:ヘッドライト・テールライト)

 

 

ー 療養日記Ⅱへ続く