正月そうそう

せわしない
生活だったのが
やっと少し落ち着きました。

昨日は
仕事をまた
ぶっ続けでやり
その後、
1時間ほど
仮眠して、
親戚の集まりで
中華街へ行きました


親戚のみなさんと
ばあちゃんの顔をみて
元気をもらいました。

けど
寝てなくて
フラフラだったので
紹興酒とビールを
少し飲んだだけで
フラフラに・・・・

でもやっぱり
行ってよかったなと
思いました。

みんなの顔が
見れたのと
あとは
こうやって
親戚で集まると
自分の血
一族
というものを
感じることができるから。

自分の一族だけを
大切にする
というわけではなくて
こうやって
自分が何かに
属していることを
感じることで
さらに広い目で

日本人という
民族の一片

人類という種属の一片

地球に住んでいる
生きとし生けるものの
一片

なんだということを
感じることができるからです。



話は少し変わるけど
2年前くらいに
じいちゃんのことを
書くと言ったまま
書いていなくて
ずっと気になっていたので
少し書こうかなと思います。

書き始めると
きりがないので
ここでは
父方のじいちゃんについて
少しだけ書きます。

自分の父方の
じいちゃんは
福島県出身なのですが
職業軍人として
海軍に入ってからは
ずっと横須賀に住んでいました。
戦争が終わってからは
米軍基地の
消防士をしていたらしいです。

軍人さんと聞くと
見るからに屈強そうな男を
連想させますが
自分のじいちゃんは
屈強そうというよりは
見た目からして
朗らかな人で
自分のイメージでは
酒が好きで
いつも笑っているイメージでした

そんなじいちゃんは
数年前に93歳のときに
亡くなりました。

93歳まで
生きたのだから
大往生だと思います。

そのじいちゃんの
葬式に行ったときに
葬式後の食事の席で
少し遠い親戚の方が1人
酔った状態で僕に
仕切りに
「健君のじいちゃんには世話になったんだよ」
と話をしてくれたのですが、
何やらよく家に呼ばれて
飲んだり食べたりしたらしいです。

その方が
そのときは
酔っていたからというのも
だいぶあると思うのですが
もう何回も同じ話を
してくるんですね(笑)

周りの人が
「ごめんね~」
と僕に謝ってくるくらい(笑)

でも、
雰囲気で
本当に感謝してくれている
というのか
好きでいてくれているから
何回も同じ話を
してしまっている
というのが分かったので
そういう風に
話をしてくれて
とても嬉しかったのを
覚えています。



じいちゃん、ばあちゃんの
子ども(自分のおじやおば)
は4人いて、
さらにその子ども(自分や従兄)
が8人いて
さらにその子どもが・・・

という感じなので
自分の親戚は大所帯です。

なので
今年のように
中華街の店などで
集まったときは
どこの部屋を覗いてみても
自分のグループが
一番人数が多いです。

でも、
親戚の数が多いから
これだけ
集まるというだけでなく
じいちゃんやばあちゃんの
人柄で人が集まっているというのも
あると思います。

親父から聞いた話だと
じいちゃんは
人を集めて
みんなで酒を飲むのが
好きだったようで
よく家でやっていたそうです。

それを聞いたときに
普段無口な親父が
酒を飲むと楽しそうに
よくしゃべるのは
じいちゃんの血をひいているからかもな
と思ったのを覚えています。



じいちゃんが
亡くなってから
一年後の
墓参りで総勢41名の
親戚が集まったときに
坊さんが
おっしゃってくれたのが

「今日はこうやって、
普段会えない沢山の親戚が集まって
顔を合わせたのも、
仏様(死んだじいちゃんのこと)
が繋いでくれた縁です。
良縁です。

亡くなったことに涙することもありますが、
こうやって
皆が楽しく明るくしているのを見ると
仏様も安心して成仏できます。」

と言ってくれました。
それから
詳しくは覚えていないのですが
「縁」の大切さについて
教えてくれました。

そのときに
死んだじいちゃんから
「縁」
の大切さについて
教えてもらったような気がしています。

袖触れ合うも多少の縁

という言葉もありますが
縁を大切にするというのは
古き良き
日本の心なのかもなと
思いました。

また
「血縁」
という言葉もありますが

自分も含め、
現在の日本では
せいぜい
2代か3代前くらいまでの
血縁しか
知らない人が
多数だと思います。
勝手ですが
それも日本の文化なのかなと
思ったりしています。

自分の一族だけに
こだわらない
って言ったらいいのかな。

辿りに辿っていったら
みんな家族なんだよ

って。
そこまで
考えている人なんて
ほとんどいないとは
思いますが

日本人の
良い意味で
こだわないところ。

寛容なところだなって
勝手に
いいように解釈しています。

でも、
有名な血筋の
人達のように
過去に
素晴らしい偉業を成した
人の祖先であることを
誇りにしている人達も
素敵だなと
思います

そういう意識が、
自分のなかに
眠っている力を
引き出してくれるものでも
あると思うので
大切なことだと
思います。

ルーツは
大切にしたいと
思います。
けど
それと同時に
人類皆兄弟
という感覚も
大切にしたいです。



話を戻しますと・・・

12月25日は
イエス・キリストの
降誕日で
自分も含め
多くの日本人が
キリスト教じゃないけど
「メリークリスマス☆」
って言って
お祝いをしているんですよね

しかも
大半の人が
何のお祝いかの
理由も考えずに・・・

そういうのを
バカにする人も
なかにはいると思うし
アホっぽく
うつってしまうかも
しれないけど。。。

けど、僕は
それも
ありなんじゃないかなって
思うんです。
大犯罪者の
誕生日をお祝いしていたら
話は別だけど
人類に良いことを
伝えてくれた人の
降誕日なんだから
キリスト教じゃなくても
何のお祝いか
意識していなくても
それで
幸せな気持ちになれるのなら
ありかもなって。

なんて書いたらいいのか
難しいけど、

「幸せになれるものは
難しいことを
考えずに
取り入れてしまえ」

っていう
感覚なのかもしれないな
と思うんです。
僕ら日本人は。。。

(Xmasをキリスト教信徒でなくても
祝うのは日本人だけでは
ないとは思うのですが・・・)



長くなるけど

日本には仏教が伝わってきてから
神仏習合という考え方があるらしくて

どういうものか
簡単に説明すると

もともと
神道という信仰のあった日本に
仏教が入ってきて
これはどうしたものか
と考えた日本人は、
おおざっぱに書くと

「仏教も素晴らしいから
取り入れて
自分達の文化に
してしまえ」


という風に
「混ぜる」という言葉が
適切かどうかは
分かりませんが
自分なりの解釈で言うと

うまいこと
神道と仏教を混ぜる
ことにしたらしいんです。


そして
明治時代に
神道と仏教を
再び分けることに
したらしいのですが

神仏習合の感覚って
未だに
日本人のなかに
あるんじゃないかなって
思います。

よく考えると
おもしろい民族だなって
思います。

自分もそうだったけど、
神社と寺って
どう違うんだろ

など考えたことのない人って
実はたくさんいると
思うのですが

良い意味で
深く考えない
人種なのかなって
思います。

もちろん
深く考えるときは
深く考えるのですが

なんていうのか
ディティールに
こだわる民族でもありながら
あまり細かいところに
こだわらない
良い意味で
寛容な民族なのかなって
思います。

他の国の人からしたら
それが悪いところでもあると
思うので
それは直さなくては・・・
と思います。


その
「仏教も良いから
取り入れてしまえ」
って考え方を知ったときに
「うわっいいなぁ」

って思いました。
これは
日本の文化だけでなく
仏教自体に
そういう寛容な部分が
あったのも
大きな理由だとは
思うのですが

なんか
こういうの
いいなって思うんです。

だって
他の国では
宗教の衝突で
戦争が起きて
殺し合いが
起こったりしているのだから

そうなってしまうよりも
「素晴らしいから
取り入れてしまえ」

ってところが
いいなって思うんです。




話がすごい
逸れてしまいましたが

自分のじいちゃんにも
そういう寛容なところを
感じたというか

僕は
じいちゃんには
一年に一回、
会うか、会わないか
だったので
じいちゃんに関して
そんなに
詳しくはないのですが

「もういいから
こっち来て飲め(^^)」

的な
雰囲気のある人だったように
僕は肌で感じていたんです。

そういうところが
とても好きだったな
って
昨日親戚で集まり
ふと思い出したので
書きました



親戚の集まりは
じいちゃんの家以外だと
よく中華街の店で
行われていたのですが

正月に
生粋の日本人が集まって
中国人の人が作った
中華料理を食べ
紹興酒やら
ビールやら
多国籍な酒を飲む。

なんか
いいなぁって
思うんです。

自分達の文化を
大切にすることも
とても大事なことだけど、
こういうのも
なんかいいなぁって
思うんです。


じいちゃん自慢な
ブログになってしまいましたが
たまには
こんなブログも
許してください(^^)

では
この辺で・・・