さっきYahoo!ニュースで読んだのですが

オーストラリアで発生した
超大型サイクロンが
北東部のクイーンズランド州を
直撃したらしいのですが
人的被害は
最小限に留まったようです

これにはインターネット交流サイト
「Facebook」
が活躍したと書いてありました。

これを読んで
少し嬉しかったのは
インターネットが活躍したところです。

インターネットって
ネガティブなところも
多かったりするので
こういう風に役に立ったのは
嬉しいです。

少し
ここから発展して
ブログを書きたいのですが

まず、
ニュースというものは
100%当てにはならないってこと。
これはテレビもインターネットも
新聞も一緒。

じゃあ何を当てにしたらいいの?
ってなると
やっぱり身近にあって
信頼性が高いのは
ニュースになってくるんだけど・・・
でも、完全に信じては
いけないと
自分に言い聞かせています。

と言っても
つい信じてしまうし、
信じなさすぎると
何も世の中のことを
信じられなくなってしまうので
難しいのですが。。

ここで浮かぶのは
口コミはどうなんだろう?
ってこと。

Yahoo!ニュースに寄れば
今回のサイクロンのことも
警察のFacebookに
市民が書きこんだ
情報も役にたった

とあるのですが
このニュースを
信じていいのであれば
口コミの情報が
役にたったということになる

でも
口コミなんて
インターネットなんかだと
匿名で発することが
できるから
これこそ信頼できない
という時もあると思うし、
言葉での口コミは
伝言ゲームのように
徐々に変わってきてしまう
ものだとも思うから
やっぱり
どっちもどっちなのかな・・・
どちらも
信じていいときもあれば
信じちゃいけいないときもある。


あと、
やっぱりこれは
ネットの怖い部分だなって
思うのは
とある、間違った口コミを
きっかけに
その噂が口コミで
どんどん広がり
それが真実

というような
ことにも
なりかねないと
言えば
なりかねない気もする。

でも、これは口コミに限らず
ニュースでも
同じことが言えると思う。
世に出回るまえに
チェックする人が
いるだろうから
口コミよりは
個人の悪意は
反映されづらいとは思う
でも、全くないことも
ないだろうし、
ニュースはニュースで
何十、何百万人の人が
見ているので
もし間違ったことが
報道されたら
それが広まってしまう
危険性は非常に高い。

口コミに関しては
僕はこういうネガティブなことに
対して
人の顔には、
口は一つだけど、
目は二つある。

誰かが悪意で悪い噂を
撒き散らしても
その口に対して
目は倍の二つある。

だから、
自分の都合の良いように
嘘をつく、口よりも
真実を見つめる
周りの目が勝つ。
と信じたいし、
周りの目には
真実を見抜く
力があってほしいと
想う。


サイクロンのニュースに限らず、
最近だと、エジプトのニュースや
いろんなところで
ネットの活躍の話しを耳にします。

そういうのを耳にしたり
目にしたりするたびに
インターネットがこれから
もっと世界に影響を及ぼして
いくんだろうなって思う。

その影響は
ネガティブなものではなくて
ポジティブなものであって
欲しいと思う。


ニュースというよりは
メディア全般となってしまうのかも
しれませんが
その影響力が
怖いなと思ったのは
実はMichaelJacksonが
亡くなった後でした。

これは
彼が亡くなった後は
タイミング的にまずいと
思って書かなかったことなんだけど・・・

彼の生前10年くらいは
何となく
彼はおかしい人
的な雰囲気に
なっていた気がします。
(もちろん、そう思っていなかった
人もたくさんいますが・・・)

でも、
彼が死んでしまった瞬間に
メディアはコロッと手のひらを
返して
今度はこれでもかというくらいの
誉め倒し。

そして、
それにつられて
今まで
おかしな人
くらいにしか
思っていなかったのに
急に
MichaelJacksonを
やたらと
凄い人扱いする人達


メディアに
翻弄された人達を
どうこう言いたいのではなく
真実はこうだ
とここで
言いたいのでもなくて
その異様な光景に
ただ唖然としたのを
覚えています

こんなに
ニュースや新聞、雑誌
その他もろもろの
メディアの影響は
大きいんだって
思い知らされた瞬間でした。

凄い複雑な気持ちになったのを
覚えています


このことは
メディアでの報道は
良い方向にも転べば
悪い方向にも転ぶ
どちらも
報道されれば
されるほど
勢いがつく。

これを
如実に
表わしていると
思います。


話は戻りますが
結局このブログだって
ニュースを信じたうえで
成り立っている部分が
何箇所かあります

だから
信じないと議論は
進まないけど

大切なのは
ニュースなどの
情報に触れたときに
一度立ち止まって
それが信憑性があるか
どうかの確認を
することだから
自分ももっともっと
そういう風に考える
習慣を持たなくては
いけないなと
思います。

あとは
理想は
自分の脚や目や耳で
確認しに行くことだけど
そこまで
できないときは
もう少し
他の角度から
情報を仕入れること
なんだろうな。



これもニュースの
落とし穴なのですが
今日のサイクロンのニュースも

人的被害が「最小限」に
おさまったと書いてあるだけで
全くなかったわけではないんですよね・・・

書き方によっても
読む方の捉え方が変わってくるから
ここも注意が必要だなって思います。

書いた人が良かったと気持ちを
込めて書けば、
それが広がっていくし
悪かったと思って書けば
それが広がっていく。

だから
メディアも口コミも
それを発した人の
意思や意図が
広がっていくものなのかなって
思います。


サイクロンのニュースの話しを
続けると
人的被害は少なかっただけで
被害はあったのか・・・
そう考えると
何人かはサイクロンで
亡くなったのか・・・
と思ってしまうけど、
人的被害と書いてあるだけで
亡くなったとは書いていないから
そこも早とちりしてはいけない。。

いろいろと難しいです・・・



けど
一番忘れてはいけないのは
被害にあった人がいると
書いてあること
被害状況がどうにしろ
そこから読み取れる、
その被害者の身うちの人、
もしくは本人が
今、悲しんでいる
かもしれないという
ことなんだと思います。