『生きる』(日本、1952年)

 

を観た。

30年無遅刻無欠勤でお役所仕事を耐え忍んだ市民課長・渡邊。

胃がんで余命幾ばくもない状況で、生きる意味について模索するのだが・・・。

黒澤明監督作品。

 

日本映画の金字塔。

明快で分かりやすいストーリーと演出で、広く愛されているのがよく分かる。

小田切と会ったカフェでハッピーバースデーのお祝いを他の客が行っているのも、

新たに生まれ変わった暗喩というのは、めちゃくちゃ分かりやすいけれど

腹落ちする演出。

 

初めて自分のお金で立ち寄った飲み屋で出会った放蕩の小説家は、

嶋田久作じゃないのか!驚きだね。顔も声もとてもよく似ている。

伊藤雄之助さんというらしい。生き写しみたいにそっくりで、びっくりした。

 

渡邊の口下手さは、病の症状の一つかと思うくらい。

じいっと見つめてはいるけれど、「つまり、その」といくら待っても言葉が出てこないのが

なかなか人付き合いが難しそう。

 

それでも、

小説家は彼に同情をして夜の遊びに連れまわしてくれるし、

部下の女の子もこんな反応が薄くコミュニケーションが取りづらいオジサンによく付き合ってあげるなあ、

と人の優しさが沁みる。

 

余命いくばくもない身で、何かを作ったり、今までとは違う生の実感を得たいと思ったら、

たいていは仕事を辞めて別の道に打ち込むのが王道だと思うけれど、

今までミイラのようにたらい回しをしてただ刻刻と時間が過ぎていくのを待っていたお役所仕事の中で、

「公園作り」に情熱を燃やして成し遂げた、という構成が良い。

 

変わりたい!と強く思ったら場所を変えることを考えそうなもんだけれど、

長年受け流してきたツマラナイ仕事でも、自分次第でやりがいを見出せる、という励ましも感じた。

 

渡邊の葬儀での助役をはじめ役所の連中のデリカシーのなさには呆れる。

面子のために故人の悪口を言っているようにしか見えない。しかも親族の前で。

見るに堪えないシーン。

 

流されて「渡邊さんの後に続けー!」などと酔って気が大きくなってその場の感傷で

くだをまく役所の同僚はさておき、

渡邊の熱意に打たれた青年だけが手を合わせるシーンもいい。

 

そりゃ他人はそんなにすぐには変わらんが、

渡邊の功績で子どもたちが笑顔になった。それだけは確かなこと。

 

環境を変えて抜本的に新しい場所で始めなくても、

自分次第でいつでも新しく始められるんだな、と勇気づけられた。