異邦人 (新潮文庫) 異邦人 (新潮文庫)
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カミュ、窪田啓作訳『異邦人』

 

を読んだ。

母の死、恋人との情事、友人の痴話騒動。

友人の女出入りに関係して、ふと殺人を犯してしまった主人公・ムルソーの内面の闘争と、現実の理不尽さ。

 

この作品は二部構成になっていて、

一部だけを読むと退屈でまとまりのない描写が続くから、挫折しかけた。

「きょう、ママンが死んだ。」の有名な書き出しからこんなふうに物語が連なっていくとは、予想できなかった。

 

主人公ムルソーの情緒の欠如、心の空洞、一般的感情の欠落は、冷血というよりも

ニヒルな気取り屋という印象で、おしゃれで印象的なセリフもたくさんある。

 

友人・恋人との関係を大きく左右するであろう二択の問いに「どちらでも同じことだ」と答える冷静さは、

理性的で洒脱にも感じる。

 

この作品ではムルソーの心理描写や葛藤が描かれているので、

彼がいかに思考を巡らして感傷を理性で押さえつけるタイプかということがよく分かるけれども、

表に出て、他人が読み取れるのは行動だけなので、彼が無感動・無慈悲であると決めつけられるに相応しい現実が横たわっているということも分かる。

 

母の死に涙を見せなかったことや、心理的ダメージを表さなかったということが、

どうして、明らかに突発的で衝動的な殺人を「予謀」していたということの証明になるのだろうね。

裁判は人が裁くもので、裁判の場で同席したほとんどの人間に嫌悪されてしまったから、ムルソーは死刑になった。

この世界では、他人が求めるように演技しないと、異邦人とみなされてしまう。それがタイトル、この作品の意味。

一般的感情の揺れ動きを何度も求められて、拒否しつづけたムルソーの頑なさには強い信念を感じるね。

ムルソーはある意味で、いつでも真剣だし、自分の心に対しては誠実だよ。

 

とくに読み応えがあるのは、死刑確定後の牢の中での描写。

生への未練やしがみつきへの決着のつけかたが秀逸。

今であろうと二十年後であろうと死んでゆくのは同じこの私であり、死ぬときのことをいつとかいかにしてというのは意味がない、という理屈。

この死生観じたいは若者が取り込まれやすそうな軽薄さもあるけれど、

ラストまでの数ページはムルソーなりの情熱が力強く現れていて、カミュの圧倒的な文学的才能を決定付けているような気がした。

 

 

発表時から論争が絶えない作品だということも納得の、独特のニヒリズムに溢れている作品。