このブログは2007年10月から始めていて、かれこれ10年の年月が経過した。
19歳から29歳の10年間。実家を出てから、10年以上経った。
何かあったようで、でも何もなかったような10年間だった。
10年前といえば、
高卒認定を取得して大学進学を目指していた。そこから遡って、思い出そう。
最終学歴が高校中退のわたしとしては、同い年の高卒受験生と比較しても一種異様な緊張感があった。じりじりと不安に焦がされていた。
そんなこんなで
なんとか受験が終わり、2008年4月に同志社大学へ入学した。
大学生活。
大学入学当時のわたしは、成功をふわふわと夢想する幼い感傷はあったにしても、
現実の世界と折り合いをつけて生きていく覚悟、明確な将来の目標、大学生活への憧れなんて一切なくしていた。
高校を辞めるときには大学進学は念頭に置いていて入学してみたものの、
コレをしよう!と一念発起して入学したわけではなかった。
高校中退して高卒認定を取得するという通常ルートから外れた道を選んでも、結局ただの大学生になりたいだけだった。
当時のわたしは決して認めないだろうけれど、これが忌憚なき真相に違いない。目を覆いたくなる。
自分が何をしたいのか、何を求めているのかが分からなかった。
今から思えば、単純に大学生活を楽しみたい!遊びたい!と素直に行動すれば、きっと少なくとも自分一人だけでも楽しんで暮らせたはずだった。
あとに何も残らなかったとしても、それはそれなりの成れの果てを味わいたかった。
電車にほとんど乗ったことのなかった田舎育ちのわたしにとって、
京都という街は、歴史的景観や文化よりもまず、都市だった。
地下鉄という乗り物も、京都で生まれて初めて乗った。
人生における転機で、都市的経験の始まりだった。
野望さえあれば少しの期待さえあれば、もしかしたら何でも始められたかもしれない。
という恨みつらみは置いておいて、
大学生活では本を読み、映画を観ていた。
特に本をよく読んだね。
哲学科だったから、他学部他学科よりも古典を読む機会に恵まれていた。
課題図書や授業で扱ったタイトルは、このブログには載せていない。
何をすればいいか分からないけれど、本や映画から自分の欲望を探り当てることができるだろうと信じたし、卑しくも自分を高尚な人間に仕立て上げられるような気がしていた。
LGBT。
この言葉がこの10年間でこんなにも世の中に浸透するとは思わなかった。
LGBT、セクシュアリティ、クィア。
わたしの正体を知りたかった。
哲学の中にも、文学の中にも、映画の中にも、
それらのエッセンスはいたるところに散りばめられていて、他の主題と比べてより魅力的にうつった。虜になった。
でも本当は?
本なんか読まなくてもいい、映画なんかさし込む隙もないくらい充たされた当たり前の日常に満足したかった。
要するに孤独だった。
それでも淋しさを感じることがなかったのは、生まれてこの方ずっとそのスタイルだったから。
他人を求めて嫌われていくなんてキャリアもずいぶんと長くなっていた。
大学時代に恋もしたけれど、好きな人とは付き合えなかった。
そうして大学四年間は終わり、
目指す業界に就職することになった。
勤めだしてから、転職もしているけれどわたしはずっと同業界の営業職として勤務している。
女性の営業職が少ない業界だから目立つし、
「なぜ営業をしているんですか?」なーんてストレートに聞かれたりもしている。
なぜ?
なぜって、男性と結婚する?万に一つそんなことがあったにしても、
父が自死してから母子家庭で育ったわたしとしては、男性の経済力に頼るなんてことを考えたこともなかったし、
自活して生活を守るためには仕事をしなければいけないし、
なんにせよ総合職で働かなくてはいけないという世間知らずの大学時代のわたしの考えから始まるね。
文系で技術のない自分にとって、一番間口の広い総合職の募集が営業職だった。
その頃は人と話すことが好きだとも考えていたし、営業職を志望するということに自分自身の葛藤はなかった。
いざ勤めてみると、自分の弱みと向き合わざるを得なかった。
新卒で勤めた会社は女性の活躍が目覚ましい会社だったけれど、
女性の営業で活躍していけるのは、体育会系で縦社会を重々承知して気配りを忘れないタイプだと気付いた。
社風や部署によって異なるけれど、わたしが所属した部署では、間違いなくそうだった。
それはさておきこの頃から大阪に転居し、私生活ではバーに入り浸ったり、本格的に飲み歩きだした。
セクシュアルマイノリティの集うバーに行ったりもした。
学びが大きかったし、いろいろあったね。
この話はまた別の機会に綴るとしよう。
転職のあいまに、専門学校に通ったり
仲良くなった60代男性のお店をかりてバーをしたり、いろいろあったね。
12歳年上の彼女と付き合って4年になる。
彼女には本当に感謝している。
懐に入ってきた人間をどこまでも面倒を見ようとする。見放したりしない。
身内の悪口を言うことは最大の恥だと感じている。
見てくれや人種や出自やその他諸々の悪口をけっして口に出さない。
あんなに素晴らしい人間は、彼女のほかにどこにもいない。ようにすら思える。
ポップな現実世界の住人は、わたしたちを笑うだろう。
それでいい。
わたしはいつでも正しくない。
正しくない世界で、誰にも相手にされずに2人だけでくるっていられる人を見つけた。
幸せ。いまが一番幸せ。
これからもっと幸せに生きていこう。