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『ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅』(イギリス、アメリカ、2016年)

 

を観た。

 

『ハリー・ポッター』シリーズと同世界観の新作。

ストーリーはタイトル通り、ファンタスティック・ビーストを連れた魔法使い・ニュートが旅をするお話。

第一作目の旅はアメリカ・ニューヨーク。

 

まず、大阪エキスポシティのIMAX 3Dという技法のスクリーンで観たのだけれど、

シアターに入った瞬間ビックリ!

壁一面がスクリーンになっていて、座席が急斜面に設置されている。

3D眼鏡をかけて鑑賞すると臨場感たっぷりで、自分が物語の中に入り込んでしまったみたい。

こりゃいいね!

 

さて、本題。

『ハリー・ポッター』シリーズの魅力は、

魔法界という不思議な設定と小道具、

魔法学校に通う主人公の成長ストーリー、

の2つの要素がポイントになっていると思う。

 

魔法界という不思議な設定と小道具っていうのは例えば、

人間以外の魔獣とか、100ビーンズみたいな魔法お菓子、ポートレートの中でまるで生きているかのように悠然と微笑む故人たち、誰にも遠慮せず自由闊歩して暮らす幽霊たち、とか

細部まで凝っていて夢がある。

そういう世界観に魅せられていたんだけれど、この新シリーズではそういったワクワクはあまりない。

それというのも、舞台は人間界だから。

ちなみに、ロンドンと違ってニューヨークでは人間のことをマグルではなくノー・マジと呼ぶみたい。ノー・マジックの略。

 

このストーリーは簡単に言ってしまうと、

人間界のニューヨークの街で、ファンタステッィク・ビーストという魔法界の住人を暴走させてしまったことによる一連のトラブルを描いている。

 

魔法使いは出てくるし、魔法も使うけれど、

魔法界独自の小ネタ要素はあまりない。

それよりはファンタスティック・ビーストが暴れて街をダイナミックに破壊していくドタバタが印象的で、他の要素がちと薄い。

 

このストーリーを愛せるかどうかは、

ファンタスティック・ビースト(魔法動物)をどれだけファンタジックな生き物として興奮できるか、にかかっていると思う。

 

『ハリー・ポッター』シリーズの弱点というか、

節度のある点というかクラシカルな世界観にふさわしい表現という意味で仕方のないことだと思うのだけれど、常々感じていることがある。

姿勢をピィンと正して棒をピシッィと振って、棒の先からビームが出るという映像的に地味な魔法使いの戦闘シーンが迫力に欠ける・・・。

魔法使いたちは肉弾戦を好まないし、魔獣動物を召喚するわけでもなく、それぞれの得意な魔法で戦うのではなく、強い魔法使いも弱い魔法使いも杖を振って魔力で戦う。

言うなれば魔力こそすべてに見えるし、映像としての面白みに欠ける。

 

トランクの中を大きな箱庭にしてファンタスティック・ビーストと旅する主人公のニュートは、

シャイなんだろうけれど、どういう人物か分かりにくい。

魔法動物を愛しているということは分かったけれど、心の機微が読み取りにくい。

魔法動物になつかれているけれど翻弄されているし、彼自身の魅力が伝わってこなかった。

 

ニューヨークで出会う仲間。

禁欲的で知的な姉と、チャーミングで官能的な妹。

この2人のバランスが古典的でいいね。

パン屋になりたい太っちょのノー・マジ。素直なオジサンって素敵よ。

 

黒幕のシークレット・ゲストもびっくり!

一瞬で誰もが判別できる世界的スター俳優で、この世界観に溶け込める俳優は彼しかいない。

 

ニュートの相棒は魔法のトランクひとつで、次なる旅路へ。

残された人々はニューヨークに留まるけれど、ニュートに出会って、それまでよりロマンチックな彩りあふれる世界で生きることになる。

 

単なるトラブルメーカーじゃない。

誰かを幸せにして、次へ向かう旅。日本にも来てくれるかしらん。